冥界-ニヴルヘイム編 - 2/5

淡い雪と凧の群れ。ハオが手を合わせながら静かに言う。
「この辺、結界が安定してるネ。浮遊霊も穏やかダヨ。」
プルトは足元の氷面を見つめる。
「結界といっても、緩やかなものですね。ここは……死者の“遊び場”?」
レイスがあくびを噛み殺し、
「雪、音吸うなぁ。静かすぎて眠くなる……」と呟いた。

──その瞬間だった。
氷面をぶち破る轟音。
雪煙が弾け、赤いマフラーが宙を裂く。
グレイプニル(拘束鎖)を引きずりながら、全力疾走で現れたその巨体が氷原に着地。
「オイ!? そこは俺の遊び場なんだがッ!!」
声量100、勢い200、思考力:行方不明。
子供霊たち、一瞬硬直。
「きゃっ!?」「兄ちゃん怒ってるー!!」「武器でかすぎるー!!」
次の瞬間には全員、凧を放り出して幽霊とは思えぬ速度で退避。

フェンリル、両手をばたばた。
「いや!お前らに言ったわけじゃ……! ってオイ!?待てってば!!」
「お前ら!!そこの!!お前らだ!!!!!!」
視線がロックオン。
レイスが引き気味に後ずさる。
「……ちょ、なんで俺らにロックオンしてきてんだ!?」
ハオがくいっと首を傾け、淡々と。
「顔がこわいヨ。」
プルトは無表情のまま、
「怒ってはいません。ただ情緒が足りないだけです。」
沈黙。風が止む。
雪原に残ったのは、鎖の音とフェンリルの息づかいだけ。

「それで、そこの四人。生きてる匂いがするッ!!」
グレイプニルを肩に担ぎ、ドンと指差す。
「冥界に生きてるやつが来るんじゃない!! 不法侵入だ!!」
「つーか俺、今ちょうど暇だ!! 付き合え!!」
レイスがため息をつく。
「なるほど。そりゃ“暇人センサー”ビンビンに反応してたわけだ。」
ハオはフードを深くかぶる。
「戦闘にしかならないヨ、この流れ。」
カリストが帽子のつばを直しながら、
「拒否しても……どうせ始まりますね。」
──静寂を破り、冥界の氷原に雷が走る。
次の瞬間、雪が光を弾き飛ばし、戦闘の火蓋が切られた。

「ヴァナーにいちゃん、がんばってー!」
子供幽霊の応援にフェンリル、叫ぶ。
「ヴァナーじゃねぇっつってんだろ!!!忘れろォ!!!」
その怒号で雪が舞い上がる。
プルトは一歩前に出て、静かに微笑んだ。
「……“ヴァナー”と聞いて、懐かしい名前が浮かびましたよ。」
「まさか冥界に、あの家系の末裔が生きていたとは。」

フェンリル、鎖を振り上げる。
「うるせぇ!!もう“あの時代”の話はすんな!!」
ハオがひょこっと顔を出し、無邪気に首を傾げる。
「ヴァナーって何?ご飯の名前? 中華風?狐風?」
レイスが煙草をくわえ直しながら苦笑。
「やるしかなさそうだな。……オーケー、兄ちゃん。遊んでやるよ、全力でな!」
フェンリル、鎖を構え。
「上等ォ!!!」
雪の公園は、まるで止まった時計の中にあった。
滑り台も、ブランコも、シーソーも――すべて氷で覆われている。
亡者の子供たちが使っていた形跡だけが、かすかに残っていた。
その上を踏みしめる四人と、一匹の巨狼。

フェンリルが鎖を唸らせ、霜を弾き飛ばす。
グレイプニルが鉄柱を擦るたび、火花が散るような音が走る。
「久々に戦えるヤツが来たと思ったら、四人もかよ!最高だな!!」
笑いながら吠えるその声は、冬の雷鳴に似ていた。
レイスが舌打ち混じりに呟く。
「うるせぇ兄貴が来たな……冥界でも騒音は生きてる。」
ハオが軽く手を合わせ、指先に霊火を灯す。
「戦う前に言っとくヨ。砂場、滑るから気をつけてネ?」
だがフェンリルは聞いちゃいない。
鎖を引き抜きながら、氷を砕く勢いで突進してくる。
重力そのものを振り回すような力任せの一撃。
それを真正面から受け止めたのは、純白の軍服――カリストだった。

彼は氷柱の上に立ち、凍てつく風の中で笑った。
「私が“日向大和”と呼ばれていた頃、こうした遊具は“ハイカラ”と呼ばれていました。」
雪片が髪に舞い落ちる。
その目には、遠い明治の灯がわずかに残っていた。
「時代は変わるものです……ねっ!!」
カリスト、ブランコの鎖を掴む。
一瞬の静止――次の瞬間、氷の地面を蹴った。

ブランコが音を立て、宙を裂くようにスイングする。
その動きは氷よりも滑らかで、
まるで雪中に描かれた円弧そのものが生きているかのようだった。
風圧が雪を巻き上げる。
フェンリルの瞳が光を反射する。
鎖が唸るより早く、カリストの長靴が彼の顎を撃ち抜いた。

「ぐっ……ぬぉぉおおおッ!?!?」
フェンリルの体が宙に浮き、雪煙が爆ぜ、氷の結晶が散る。
レイスが思わず口笛を吹いた。
「明治のハイカラ、やべぇな……!」
ブランコが一回転し、カリストが軽やかに着地する。
その動きは武人でもなく、舞踏家でもなく――氷上の亡霊のようだった。

「……遊び方を、少し変えただけですよ。」
カリストは片手で帽子を直し、もう片方の手で空を掴むようにして構えた。
白い息が空へ昇り、空気そのものが凍りつく。
フェンリルは笑う。
「上等だ……! 遊びのレベルが、もう戦争じゃねぇか!!!」
そして再び、氷の大地が悲鳴を上げた。

氷の公園は、風さえも凍るように静まり返っていた。
雪に埋もれたブランコの鎖がかすかに軋み、
それだけが、この世界にまだ“音”という概念があることを証明している。

フェンリルは手ごろな遊具にドカッと座り、眼前を指差す。
笑みは鋭く、瞳の奥には戦いの光が宿っていた。
「いいセンスしてるぜ、生きてる癖に。……ならオレも“公園式のバトル”ってやつをしてやるか!」
その言葉の直後、氷の地面が爆ぜた。
獣のような踏み込みで地を割り、フェンリルが降り立つ。
雪が吹き上がり、静寂が砕け散る。
シーソーが跳ね、その上に立っていたレイスの体がぐらりと浮いて。
片足を滑らせて危うく転倒しかける。
慌ててブーツの底で踏みとどまると、金属の冷たさが足裏を貫いた。

「……公園が戦場って、こういうことかよ。」
呟いた声が白く曇る。煙草の煙と吐息の境界が曖昧になるほど、空気が冷たい。
フェンリルはその様子を見て声を上げた。
「全力で遊ぶぞォ!!」
声は雷鳴のように冥界に響き、雪原がその振動だけで細かく震えた。

ハオは穏やかに首を傾げる。
「ハオたちも遊具を活かさないと、地の利じゃ地元に勝てないヨ。」
その口調は軽いが、視線は真剣だった。
砂場の上に指を走らせると、淡い光の線が浮かぶ。
霊砂が反応して、結界の陣が小さく瞬いた。

プルトはその隣で、静かに周囲を観察していた。
薄暗い空の下、氷の層に映る影をじっと見つめる。
「大事なのは、観察力。」
唇だけが動き、言葉が氷の白に溶けて消えた。

彼女の指先が、遠くの影を指し示す。
「あの遊具、使えそうですよ。」
レイスとハオが同時に視線を向ける。
そこにあったのは、半ば雪に埋もれた古い回転ジャングルジム。
鋼鉄の骨組みは凍りつき、動くはずのないそれが、
なぜか微かに揺れていた。

レイスが口角を上げる。
「……なるほど。回すか。」
ハオも笑って頷く。
「うん、回そう。どうせ冥界だし、壊れても怒られないヨ。」
プルトが一歩退きながら言う。
「冥府の遊具は丈夫ですから。……遠慮なくどうぞ。」

フェンリルの瞳が笑う。
「お前ら……まさか、“あれ”で勝負する気か?」
カリストが、いつの間にか帽子を外していた。
雪の中で白い髪が光を反射し、氷の翼が静かに広がる。
「遊びとは、工夫するものです。」
その言葉と同時に、空気の層が割れた。
ジャングルジムが軋みを上げ、氷が砕け散る音が一斉に重なった。
フェンリルの鎖が唸り。
レイスの雷が閃き、氷の粒子が雪ではなく光として舞い上がる。

音が戻り、風が走る。
それはもう、ただの遊びではなかった。
冥界の“遊具”が牙を剥き、戦場に変わる瞬間だった。
氷原に響いた衝突音は、雷にも似ていた。
回転ジャングルジムが最後の悲鳴を上げ、氷片と火花を散らす。
雪の地面を削りながら、巨体が弾き飛ばされる。
フェンリルは宙を回転し、轟音と共に白銀の地を滑った。
氷が割れ、雪が舞い、世界の色が一瞬だけ消える。

派手に音を立てて止まったその位置から、一メートル分の雪が一直線にえぐれていた。
凍りついた地表に蒸気が立ち上り、レイスはゆっくりと手を下ろした。
雷の残滓がまだ指先で揺れている。
ハオは軽く息をつき、氷上に描いた陣を指でなぞる。
プルトは血も凍るような無表情で、ただ氷上の巨狼を見つめていた。

フェンリルはしばらく動かず、やがて笑いながら体を起こす。
白い息が、まるで炎のように荒く散った。
「……っざけんな……」
唇の端から笑みが漏れる。
「こんな戦い、久しぶりで……楽しかったじゃねぇか……クソッ」
拳を氷に叩きつけると、霜がぱっと弾けた。
巨狼の瞳から、戦意がゆっくりと引いていく。
息の音だけが残り、冥界の公園にようやく静寂が戻った。

“遊び”の時間は終わった。
遠くで、微かな声が聞こえた。
最初は風の音かと思ったが、それは笑い声だった。
いつの間にか――霊の子供たちが戻ってきていた。
倒れた遊具の周りを取り囲み、雪をかき分けて凧の糸を拾い上げる。
どこか懐かしい声が風に溶けていく。

ひゅう、と一筋の風が吹いた。
凧がゆっくりと空へと昇っていく。
まるで、戦いの余熱を吸い込むように。

フェンリルはその光景を見上げ、少しだけ寂しそうに笑った。
「……あぁ、風が戻ったか。」
プルトがわずかに目を細め、静かに答える。
「ええ。“死の国”にも遊びの風が吹いたようですね。」
雪が音もなく降り積もる。
公園の上には再び、穏やかな冥界の午後が戻っていた。