冥界-死京編 - 1/5

世界は一度、火に焼かれて灰となった。
だが滅びきれなかった人々は、今年もまた“死者を迎える祭り”を始める。
それは、亡き者を忘れぬための祈り。
同時に「いずれ自分も、そちらへ還る」という、ささやかな覚悟の儀式だった。

—–

盆の築地。
路地裏まで青臭い風が漂い、露店には“なす”と“きゅうり”が山積みだ。
ふとレイスが屋台に寄ると、店主がきゅうりを一本手に取り、包丁でカタチを吟味していた。
「お盆になるとさ、なすときゅうりのメニュー増えない?」
レイスがぼそっと呟くと、店主はうなずきながらニヤリと笑う。
「精霊馬にするのはね、綺麗なカタチじゃなきゃいけないからさ」
「曲がったのや、端が欠けたのは料理にしちゃう。味は保証するよ」

カウンターに並ぶ、きゅうりの浅漬け。
透明な皿に氷が沈んで、青緑の切り口が涼しげに光る。
レイスは一本つまんで口に運ぶ。
歯が立つ瞬間、じゅわりと清涼な香りと、かすかな塩味。
“形を失ったもの”にしか出せない、どこか儚い美味さがあった。
「……悪くねぇな」
レイスはつぶやく。
その背後では、売れ残ったなすときゅうりが小皿へと消えていき、
選び抜かれた一本が割り箸で馬と牛に“化けて”ゆく。
子供たちの小さな手が、それを眺めては歓声をあげる――
「精霊馬、今じゃ作れる人も減っちまってな。でも、みんなの“帰り”をまだ信じてるんだよ」
屋台の店主が目を細める。

築地市場の裏路地、赤提灯がぼんやり灯る薄闇のベンチ。
そこに座るキガは、全身を“腹ペコの神”でラッピングしたかのような異質さ。
黒キャップを目深にかぶり、パーカーの緑ロゴには「FAMINE」。
膝の上には山盛り焼きそばパック――両手の動きは、既に人の域を超えている。
焼き魚の串を回しながら、笑う。
「お盆ってさ、人間いっぱいで楽しいよなぁ。食い放題って感じ!」

焼きそば、焼き魚、おにぎり、オレンジジュース――。
消えていく速度は常識を逸脱していて、通りすがりのガキどもが二度見するほど。
レイスは隣に座り、ペットボトルの水を回し飲みしながら、しれっと質問を投げる。
「なぁキガ、その食費どこ出てんの?」
「やっぱ誰かに奢ってもらってんのか?」
キガは串をぐるりと回し、悪戯っぽくニヤッと笑った。
「大食いチャレンジに挑んでるんだよ。オレにとっちゃ、タダ飯のボーナスタイム!」
レイスは呆れ顔でペットボトルを置く。
「デカ盛りの店、泣くぞお前……“永遠に満腹にならない”って、もはや大食いじゃなくて拷問だろ」

「食い方汚ねぇから、テレビ出演はNGだけどな」
キガは箸を止めずに言う。
「そもそも地上波じゃ映せねぇよ、お前の胃袋」
そのやりとりを聞いていた屋台の親父が、遠くから半泣きで叫ぶ。
「頼むから3分で4kg焼きそば完食しないでくれぇぇ!!」
空には鐘の音。築地の空気は、“終末大食いフェス”の到来を高らかに告げる――。
キガの笑みには、人間の皮膚を被った“飢餓”そのものの悪魔が透けて見える。
誰より陽気に、誰より人間らしいふりをして、けれどその本性は世界を喰らい尽くす“穴”なのだ。

路地裏に溶ける祭りの湿度と、精霊馬を作る手、悪魔の腹の音が混じる夜――。
レイスは静かに、そして少しだけ遠くを見る。
この静けさが壊れるのは、たぶんもうすぐだ。

焼けた世界のくすぶりがまだ路地裏に残る築地。
ベンチの上、キガは“人間”を装っている――だが、その薄ら笑いと胃袋の底はどう見ても化け物だ。
「そういえばさぁ~~。おたくの弟分」
「お盆になると毎年フラフラするんだって?」
レイスは短く相槌を打つ。
「あぁ、キリエが言ってたんだ。今年は特にひどいって」
会話の間にも、キガの手は止まらない。焼き魚の串が骨ごと消える。
焼きそばのパックが音もなく空になる。
そのたびにベンチの足元には“気配”だけが積もっていく。
どこか遠くで、子供の作った精霊馬がカタカタと倒れた。

キガは唇の端をひくつかせて笑う。
「今のうちにお祭り楽しんどけよ?もうすぐ大変なこと起きるからさ~」
その口調は、1mmも心配していない。
むしろ、これから起きる惨事が“お楽しみ”で仕方ないといった顔。
人間に擬態した皮膚の下、穴の開いた腹の奥で、何かが嬉しそうに踊っている。
レイスはそれに気づいていないふりをして、煙草を咥え直す。

人はなぜ、悪魔に忠告されても笑って受け流してしまうのか。
キガの背後で、焼きそばの湯気だけがいつまでも空に漂っていた。

築地の町全体が、祭りのために色彩を取り戻していた。
“黄泉祭”――年に一度、死者を迎え入れるための特別な夜。
子供たちの声が裏通りまで響き渡り、手にはナスやキュウリ。
割り箸で器用に脚をつけては、小さな馬や牛に仕立てていく。
――その中に、一台だけ異様な「戦車型」が混ざっていた。

「見てこれ~!ナスで戦車作った、最強じゃね?」
屋台の裏で、ウラヌスがドヤ顔でナス戦車を掲げている。
隣でメーデンは苦笑い。
「それじゃご先祖様が武装して帰ってくじゃん!!自衛隊じゃないんだから」
ウラヌスは満面の笑みでピース。
「え~よくない?お盆ウォーズだよ、盆ウォーズ!」
その様子に、キリエが肩をすくめる。
「ここにイザナギがいたら、さらに暴走してたわ…」

屋台の手伝いで汗を拭うメーデン。ふと遠くを見る。「父さん…帰って来るかなぁ」
口にした瞬間、空気がほんの少し湿る。
イズミ博士――創造主であり、今はもういない存在。
笑い声の向こう、町のざわめきに溶けていく“さみしさ”があった。
ウラヌスは提灯のヒモにぶら下がりつつ。
「つーかそのへん飛び交ってない?なんか今年、空気やばくない?」と辺りをキョロキョロ。
誰かが笑い飛ばしてくれなきゃ、不安だけが残る夜だ。

キリエが小声で呟く。
「……イザナギ、あの子。この季節になるとね、いつも調子を崩すの」
キリエは眉をひそめる。
冷たい夜風が、精霊馬の群れをふわりと揺らす。
どこかで“人ならざる気配”が、そっと町を横切った気がした。

ウラヌスはナス戦車を器用に片手で回しながら、ニヤリとキリエを見る。
「てかキリちゃん。イザって同い年じゃなかった?姉オーラすごいんだけどw」
キリエは一瞬ムッとし、でもすぐ顔を赤らめて叫ぶ。
「いやいやいや!ずっと前から私が姉なの!!あいつ養子なのよ!」
「私と兄さんの両親が、FCLロゴの前で拾って来たって……」

――フォルトゥナ人の名前は、みな天使や聖人、宗教由来で統一されている。
そんななか、“イザナギ”。
祭りの場でさえ浮いてしまうその名を持つ、あの弟分。

青黒く干からびた、青白く発光する左腕。
誰もが不気味だと思うようなその異形も。
キリエもセラフも「そういうもの」として受け入れてきた。
本当の血は繋がっていなくても、「妹」「姉」「兄」として当然のように振る舞う――
それがサイガ家の流儀だった。

だからこそ、姉として、肌でわかるのだ。
今年のイザナギは“何か”が違う。
例年なら、ただの寝言や不機嫌で済んでいた変調が、
今年は――“声”が違う。
「夢に誰かが出るとか、背中に誰かが立つとか……」
そう口にしても、どこか自分に言い聞かせている。
ウラヌスが小声で囁く。「ホラーやめて?」
だが、夜の風が妙に冷たく感じるのは気のせいだろうか。

キリエは、ふと遠くに目をやる。
イザナギ――その名も、あの異形も。
ずっと普通だと思っていたけれど、今だけは。
なぜか自分が“姉”でなければいけない気がした。
「ねぇそもそもイザナギって、どんな神様なの?」
屋台の影、ふとした問いが空気を揺らす。

「えーとね、あ。父さんが教えてくれたんだ」
「日本を作った神様のひとりだよ」
メーデンは記憶を探りながら、やや誇らしげに答える。
ウラヌスが割り箸でナス戦車を爆走させながら即レス。
「つまり今のグラットンバレーの土台作った神!?ガイアみてーなもんじゃん、ガイアww」
キリエがすかさずツッコミを入れる。
「ウラヌスちゃん、ガイアは女神様でしょ。あいつ男だよ」
「いや違うの、イザナギ神は2人で国を作ったの。確かもうひとりは……」
メーデンが口を濁す。
祭囃子の音が遠ざかり、会話の熱が一瞬すうっと冷めていった。