「レイス! 今だヨ!!」
ハオの声にレイスは頷き剣を握り直す、吹雪が再び逆巻く。
火と死が混ざり合い、世界の色が反転する。
レーヴァテインが咆哮した。
ノズルが一斉に光り、推進の焔が噴き出す。
その熱で骨の腕が灰になり、ペイルライダーの影を貫く。
炎が“歩む死”を焼き払う。
だが、それは一瞬の均衡。
青白い死と紅蓮の焔が交わるたび、空間そのものが悲鳴を上げる。
――“死”と“生”が、互いを証明しあう。
レイスは吠えた。
「死を歩くなら、火で走れ!!」
炎が爆ぜる。
黄泉の大地が赤く裂け、天空に届くほどの光柱が立ち上がった。
冥界は燃え、世界は一瞬だけ“生”を取り戻した。
氷雪の舞う鳥居前。
ペイルライダーは剣を突き立てたまま、静かに立っていた。
空は灰色。風も音を失い、世界は一瞬だけ止まっている。
やがて、騎士が低く息を吐いた。
「……見事」
「死を越えてでも進むべき道が在る。ということか」
その言葉には、怒りも悔恨もなかった。
ただ、長い戦いを終えた者の、深い納得があった。
ゆっくりと顔を上げ、彼は霧に包まれた鳥居の向こうを見つめた。
「行くがよい」
「この先は“真なる黄泉”。戻れる保証はないと、知れ」
その瞬間、剣が氷の地に崩れ落ちる。
ペイルライダーの身体は塵となり、風に溶けていった。
残されたのは、白い灰と、ひとつの“沈黙”。
—
風が戻る。
ハオのマントがはためき、プルトが髪を整える。
その沈黙を破ったのは、カリストの低い声だった。
「ペイルライダーは“死”の権化……本来、生者には討てない存在のはずですが」
プルトが無表情のまま、淡々と毒を差す。
「でも、私たち――不死身ですから」
「ヘルが言ってました。“貴方たちの魂は、輪廻の外で腐っている”って」
そして、肩を竦める。
「困りましたね。不死身って死んだ回数、忘れちゃいますよね?」
ハオがにっこりと笑った。
「レイスって何回死んだノ~?ヨクそんな軽口叩けるネ!」
レイスはポケットに手を突っ込みながら、肩をすくめる。
「うーん……数えてねぇ。お前こそ、何回“解脱”したんだよ~仙女さ~ん?」
軽口に、空気が少しだけ緩む。
プルトの口元が僅かに緩んだ。
ハオは笑い、風がやんだ。
そして、レイスがふっと笑う。
――その“笑い方”が、あまりに自然で、優しかった。
カリストの心臓が跳ねた。
(え、え、ちょ、今の何!?あの笑顔!?……いやいや、なに考えてる!?)
彼は慌てて帽子のツバを深く下げる。
顔がみるみる赤くなる。
ハオがにやにやと覗き込みながら、からかうように言った。
「カリスト、顔がすっごく赤いヨ~?」
プルトがいつもの敬語で、さらりと追撃する。
「レイスさん、よかったですね。
貴重な“氷の軍人さん”の動揺を引き出せたようで」
レイスはきょとんとして首を傾げる。
「は?俺なんかした?服、裏返しだった?いやまさかな~?」
笑いがこぼれ、氷の世界にほんの少し色が戻った。
プルトが何気なく問いを戻す。
「カリストは? 何回くらい死にました?」
カリストが一瞬だけ目を逸らし、
帽子のツバを指で掴んだまま、微妙に早口で返す。
「私はッ……!いや……その……一度、“切腹”未遂を……」
桜の花がまだ残る春先。
隊舎の詰所に怒声が響いた。
「また“武士なら”か!!?俺が武家の長男ってのがそんなに大事か!」
大和は、苛立ちを隠さず机を叩く。
上官たちが「武士らしくしろ」「忠義を尽くせ」と繰り返すたび、
胸の奥が焼けるように熱くなった。
「腹切れば武士なら、ここで腹ァ切ってやろうか!?」
「今すぐ短刀貸せ!!」
その瞬間、場の空気が凍った。
誰もが冗談だろうと思ったが、大和は本気で軍刀に手をかけた。
周囲は青ざめて「やめろ!!」「バカかお前は!!」と必死で止めに入る。
だが本人は涙目で笑いながら刃を腹に当て――
「どうせ“口だけ”だと思ってるだろ!」
「見せてやるよ、“武士の覚悟”とやらを!」
本気で自分が偽物だと思われるくらいなら、本物の苦しみを見せてやると――
それは“忠義”でも“名誉”でもない、孤独と怒りの裏返しだった。
涙声で「やめてくれ!」「お前が死んでどうする!」と叫ぶ同期がいた。
その手の温かさで、大和は刃を落とす。
翌朝、上官は青ざめた顔でこう言った。
「“死ぬ覚悟”より“生きる根性”を見せてくれ、日向」
だが、この一件で“大和の無茶は本物だ”という噂も広がり、
逆に部下たちの信頼を得るきっかけとなった。
日向大和、切腹未遂から三日。
命に別状はなかったが、腹部には薄い傷が残った。
上官からはこっぴどく叱られ、同期たちからは呆れ笑いを浴びた。
だがそれより何より、本当に地獄だったのは“その後のあだ名”だった。
「おい、“切腹”、次の勤務交代だぞー」
「おい切腹、腹具合どうだ?」
「切腹くん、今日も元気だな!」
最初は怒鳴り返していたが、日が経つにつれもうどうでもよくなった。
食堂では知らない隊員にまで「切腹さん席空いてます?」と声を掛けられ、
彼は箸を止めて頭を抱える。
(……ちょっと切った痛みより、こっちのほうが数倍キツい……)
その後半年ほど、“切腹”のあだ名は定着し続けた。
最終的に赴任地を変えるまで消えなかったという。
レイスが楽しげに吹き出す。
「おお、和風だなぁ。渋い」
「うるさいっ!」
カリストが真っ赤な顔で叫び、歩き出す。
「早く進むぞ……伊弉冉が目覚める!!」
その背を見ながら、ハオが笑い、プルトが溜息をつく。
レイスは小さく笑って、鳥居の向こうを見つめた。
風が止み、白い霧の向こうで、黄泉の光が淡く脈打っていた。
空気が逆流する。
光が吸い込まれ、影が濃くなる。
鳥居の向こうだけが、異様に歪んでいた。
色のない空間に、青黒い裂け目がじわりと滲み出す。
一歩、また一歩。
現実でない“道”が、音もなく展開されていく。
足元の大地が変わり、空間の層が入れ替わる。
背後にあった駅の幻影が、音もなく崩れた。
ビル群も、街灯も、すべてが粉のように散っていく。
残るのは、鳥居だけ。
ハオが小さく息を呑み、いつになく真剣な顔で呟いた。
「……“黄泉平坂”ネ」
プルトも静かに視線を上げる。
「つまりここが、冥府の本当の“入口”……」
レイスは振り返らず、鳥居の奥を見つめたまま拳を握る。
「この先に……坊っちゃん(イザナギ)がいるってことだな」
「だったら、行くしかねぇだろ。――友達を、迎えに行こうぜ」
風が止み、鳥居の上部に光が走る。
刻まれていなかったはずの石碑文字が、ゆっくりと浮かび上がった。
《還らざるを知りて尚、進む者に祝福あれ》
その文言と同時に、足元が青く光る。
燐光がひとすじの道を描き、冥界の奥へと続いていく。
その道は“死の国”と“生の終わり”を繋ぐ唯一の通路――黄泉平坂。
──“振り返るな”。
鳥居の前、風が止まった。
燐光の道が青く脈打ち、冥府の気配がすぐそこまで満ちている。
それでもプルトは、まるで散歩の途中みたいに立っていた。
「せっかくですし、付き合いますよ。伊奘冉って私にすれば処理タスクにすぎないので」
あまりに淡々とした言葉に、ハオが吹き出す。
「冥府そのものをデート行くついでに処理するの、大物すぎるヨ」
レイスも苦笑して煙草をくわえる。
「ならサタの記憶でも封じりゃいいだろ? 絶対そっちが簡単だ」
プルトは一瞬だけ瞳を細めた。
その表情には、冷たい火のような強さが宿っている。
「思い出しますよ。あのバカは」
風が、髪を撫でる。
声の奥にかすかな笑みが混ざる。
「あの子(ネム)はなかったことに出来ない。だから直接知らしめるんですよ」
プルトは青い道を一歩踏み出した。
靴音が冥界の空気を震わせる。
「お前には、私がいる。――と」
静かで、残酷なほど優しい声だった。
魂を“処理”する者の声ではなく、愛する者を“諦めさせない”死神の声。
カリストはその背を見つめて、何も言わなかった。
唇を噛み、帽子のつばを指で押さえる。
けれど、胸の奥が妙にざわついた。
(羨ましい……)
言葉にはしない。
そんな勇気、彼にはない。
自分はユピテルをデートに誘うなんて絶対に無理だ。
羨ましかった。“誰かのために冥府へ行く”と平然と言い切るプルトの強さが。
レイスが横目でカリストを見て、にやりと笑う。
「顔、真っ赤だぞ。冬将軍」
「黙れ……!」
「ま、恋ってのも死より厄介ヨネ~」
プルトは振り返らず、静かに答えた。
「恋なんて曖昧なもの、処理対象外です」
ただし、ほんの一瞬だけ――唇の端が、微かに笑っていた。
三人が歩き出すと、背後の空気がざわめいた。
無音のはずの世界に、かすかな“水音”のようなものが響く。
最初は足音かと思った。
だが違う。地面が、波打っていた。
黒い影が揺れ、ぬるりと形を持ち始める。
骨のような腕が、地面からゆっくりと這い出した。
“戻れ”とでも言うように、空を掴みながら伸びてくる。
ハオが息を止め、プルトが静かに瞼を閉じる。
だが、誰も振り返らなかった。
そのとき、カリストの声が冷静に響く。
「振り返らないでください」
「こういう道は、“振り返ると”引っ張り込む輩がいるのです」
彼の声は落ち着いていた。
それが逆に、この場の不気味さを和らげていく。
「ええ、実際に会ったことがありますから」
ハオの口角がかすかに動いた。
プルトが何も言わず頷き、三人はただ前を見て歩く。
影の腕は、振り返らない彼らに興味を失ったように、
ずるりと地面へ戻っていった。
何事もなかったように、冥界の静寂が戻る。
最奥部。
光が霞み、空が青黒く脈打つ。
静かに歩を止めたカリストが、ふっと微笑んだ。
「……貴方、信じてくれましたね」
彼は振り返らずに言う。
声が柔らかい。
「ええ、とても嬉しかったです」
その言葉と同時に、青黒い風が彼らの背を押した。
まるで“行け”と囁くように。
四人は、光のない黄泉平坂を進んでいった。