—帝都デリン・ガル—-
「ルチア様、フーロン皇国がアルキード王国への
侵攻計画を急遽中止したようです」
「あら、そうなのですか?」
「なんでも…皇様に進言していた炎仙が
悪魔であると気づかれ、その場で処罰されたとか、
とにかく二国間の戦争は回避されたようで、とても喜ばしいことです」
「ふふ、そうですね」
ルチアはほっとしていた。というのもアルキード王国は
あの男ことガイウスの故郷だと聞いたのだ、デリン・ガル王宮のダンスホールは
ユピテルに一度は破壊しつくされたが、今はもう完全に修復されている。
(ようやく平和になるのですね…)
ルチアは安堵する、だが彼女はまだ気づいていない…
ユピテルとはまた違う脅威が迫っていることに。
そしてその悪意はもう既にこのデリン・ガルに潜り込み
息をひそめているということに。
ヴァンクリーフ卿は今日も今日とて
ダリル皇子の怪死について調べ上げていた。
そしてついに突き止める寸前のところまで来ていた、
犯人は六将の一人であること、暗殺の名人であることを。
書類をまとめ上げ、ルチアのもとに赴くべく腰を上げた彼の前にメイドがやってくる、
スカートを軽くつまみ上げ頭を下げると従者として微笑む。
いかにも貴族に仕える従者らしく。
「旦那様、暗殺者についてまとまりましたか?」
「あぁ。そしてここまで突き止められた、犯人は
六将の一人だ…間違いない。
部屋に残されていた魔力の残滓が、一般魔族の
基準をはるかに超えるものだったからな」
「流石です旦那様。ささ、嗅ぎつけられる前に報告を
…時間は余りないようですので」
「ああ。行ってく…!?」
理解が追いつかなかった。彼女に背を向けた瞬間、
ヴァンクリーフ卿の脇腹には、細く長い剣-スティレットが深々と刺さっていたのだ。
痛みに耐えかね膝をつき、床を濡らす血を見て理解する、
自分は刺されたのだと。
「あ、ああ、ああああ……!」
「人間がよくここまで嗅ぎつけたと思います。
しかし節穴でしたね、すぐ隣にいるとも知らずに…」
「影鬼将軍プルト…まさか私の隣に……」
プルトと呼ばれた女は床に倒れ伏すヴァンクリーフ卿を見下すと鼻で笑う。
六将最後の将-影鬼将軍、無害な隣人を装うなど朝飯前なのだ。
そんな彼女が何故本性を表したか、それはただ一つ。
「時間がないのは私も同じなのですよ。さようなら旦那様、哀れな人間」
そう言うと彼女は血溜まりに倒れた彼を見下ろし、メイド服を一気に脱ぎ捨てる。
そこにはさっきまでの愛らしいメイドでなく黒装束の女が居た。
そのまま死体と化した主人を見捨てると窓から飛び降り、闇に消えていくのだった。
一方のルチアは脅威が迫っているともしらず、公務終わりに花壇傍を散歩していた。
見ると庭師達が植えたものだろうか、もうすぐ咲きそうな紫色のつぼみが見えた。
なんの花かなと好奇心から近づくと花の名前と性質を知ることが出来た。
アネモネという花らしい。光に反応する花だそうで
夜になると自然としぼんでしまうそうだ、
夕方ということで閉じてしまったのだろうか。
ルチアは花を見つめて立ち尽くしている。
その背後から、黒い影が音もなく近づいてきた。
「あぁ、アネモネを見ていたんですか。萎んでますね…残念」
唐突にかけられた声。
ルチアは思わず肩を震わせ、振り返る。
「あの、どなた――」
「アネモネ、好きですよ」
プルトは口元にうっすら笑みを浮かべ、花壇の赤いアネモネに視線を落とす。
「目みたいじゃないですか。誰かをずっと見張っているみたいで、可愛い」
その声音は優しく、どこか同情するようでいて、
その実、こちらの動揺を楽しむような――そんな奇妙な柔らかさがあった。
ルチアは咄嗟に一歩引く。
けれど、プルトは踏み込まない。
まるで“最初から友人だった”かのような無遠慮さで、
ただ花を眺めているふりをして、彼女の視界を塞ぐように静かに立つ。
「アネモネは、夜になると花を閉じるんですよ。
隠しても、きっとまた朝には開く。……目玉みたいに」
それがどういう意味なのか、ルチアには分からなかった。
けれど、その言葉の端に滲む“悪意”だけは、感じ取ることができた。
プルトは、花壇のアネモネの一輪を指先で摘み上げる。
さっきまで無邪気に笑っていたその手が、冷たい刃物のように見えた。
「……それで」
その声は、どこか別人のように低く、静かだった。
「貴方は、いつ目覚めてくれるのでしょうか?」
ルチアの背筋が、ぞくりと凍る。
目の前でアネモネの花が、ぎゅっと潰される。
指先から、花弁が音もなく落ちていく。
夜の空気が、一気に冷たく張り詰めた。
「え……」
小さく震えた声が漏れる。
だがプルトは、構わず屈み込んできた。
まるで“秘密”を囁くように、視線は容赦なく真っ直ぐに突き刺してくる。
「お父上から、聞かされたはずです」
「自分が、なぜ帝都で育ったのか。なぜ、“ここ”に閉じ込められてきたのか――」
その瞬間、ルチアの膝がわずかに震えた。
目の前の女の“気配”が一変したのが分かった。
あれはもう、誰かに共感する人間の表情じゃない。
自分だけを見上げている影――そんなものが目の前にいた。
「……あなたは」
声にならない声が、喉から漏れる。
プルトはうっすらと笑ったまま、花壇の上で潰したアネモネを指から離す。
「ずっと待っていたんですよ。貴方が“本物”になる、その瞬間を」
そこでようやく気づいたのか、ルチアの顔が青ざめる。プルトは静かにうなずいた。
「えぇご明察、貴女は魔王様が転生された御姿、それを目覚めさせるのが我が使命…」
「い、いやです!!私はルチア。
魔王ではありませんっ…え、衛兵、衛兵ー!!」
「おやおや、ずいぶん抵抗されるのですね
…では助力を願いましょう、おいでませ!」
気がつくと、プルトの隣にもうひとり、背の高い男が立っていた。
黒衣の神官服。だが、どこか“人”の姿とは思えなかった。
その男の目は赤く、ひび割れた硝子のような光をたたえている。
左の頬には赤黒いひびが走っていた、顔色も異様に白い。
息づかいさえ、どこか他人事のように遠い。
ルチアはその姿を見ても、まるで実感が湧かなかった。
口から自然に言葉が漏れる。
「どなた……?」
男は唇をゆがめて笑う。
「……あぁ、僕がわからないのも無理はないさ」
「メルクリウス、と言えばわかるかな?」
名乗られて――はっとする。
そうだ、自分が幼かった頃。
まだ言葉をうまく話せなかった時分に、帝都に“青い神官様”がやってきたことがある。
悪魔避けの祝福を授けるため、アンスロポス連合から招かれたと父上が言っていた。
その人の名が――。
「……メルクリウス」
記憶の底で、その名が青い光と共に蘇る。
けれど、目の前の男はもう“青”ではなかった。
その瞳は赤く、頬には忌まわしい裂け目。
“祝福”の面影はどこにもなく、ただ、禍々しい“何か”がそこに立っているだけだった。
ルチアは思わず一歩、後ずさる。
プルトの影が、さらに深く彼女の背を塞ぐ。
二人の“味方”だったはずの存在が、今やまるで別の生き物のように見えた。
「あんまり抵抗しないでくれ。ガイウスを殺すよ?」
「なっ!?そんな卑怯なことするなんて最低です!!」
「えぇそうね、私たちは最低よ。でもガイウスも
貴方には見せていなかっただけで嘘つきでクソ野郎で外道の屑だからお互い様じゃない?」
クスクスと笑うもう一人を見て、ルチアは少し悲しそうな顔をする。
(この人、もしかして……)
だがすぐに表情を引き締めた、
彼女は誇り高いお姫様なのだ。騙されるわけにはいかない。
しかし同時に疑問もあった、なぜ彼らが悪魔になっているのかだ。
最初から人間に化けた悪魔だったなら勇者になれるはずがない、
まさか…ルチアは冷や汗を頬から伝わせながらプルトを見る。
プルトは答えない、代わりにニヤリと不気味に笑ってカードを見せてきた。
「このプルトにも唯一得意なことがありましてねぇ、ほら私ゴミですから
汚いものには目敏く気づくんですよねぇ…ほら、心の闇とか」
カードをひらひらさせながら言う、ルチアは呆然としていた。
あの卑屈な態度の裏に隠された残虐性にも合点がいく。
「……さあ、あとはガイウスだけなのです。
あの男はアルキード出身なせいで呪いが効かないのですよぉ
…ですからねぇ、真名を教えていただけませんか」
「いやです!!」
「ねぇ~洗脳して聞き出したりはできないのぉ?」
「難しいんですよぉ。それが…さあ姫様、お教えください」
ルチアは涙をにじませ首を振った。
ガイウスの真名を教える、それは彼の信頼を踏み躙ることに他ならない、
アルキードの民にとって真名を明かすというのはそれだけ重いことなのだ。
そんな簡単に教えることなどできない、ましてや
相手はガイウスへの悪意を持っているのだから。
「そうですかぁ残念ですぅ。では別の手段をとりましょう」
「……何をするつもりですか?私を拷問にでもかけるつもりですか?」
「いいえ違いますよ?もっと良い方法がありますのでぇ」
そう言うとプルトは指を鳴らした、すると玉座が現れたのだ。
そして今度はその玉座に座らせられた、
両腕両足を拘束されているため抵抗もできない。
「大丈夫よルチアちゃん、あのクソッタレにならないよう私達が再教育してあげるわ」
「やだぁぁぁ!!助けてぇぇえええ!!!」
皇女の悲鳴が王宮に響き渡る、しかしそこだけが切り離されたように
まだ何も知らぬ人々は平和に暮らしていたのだった……。
ルチアの前で会話が交わされるその横――
帝都の別の一角、夜の光に照らされた劇場の屋上。
闇の中に佇む女の影がひとつ。
そのシルエットはヴィヌス――だが、かつての高貴な舞台女優の姿とはどこか違っていた。
蝕まれたその目には冷たい紫の光が灯り、
艶やかな銀髪も、まるで夜の帳を映すように沈んでいる。
口元には、いつもの余裕と悪意が混じった笑み。
「ふふ、こんなに派手に動いたら、“シェパード”も動くわよ」
ヴィヌスは屋根の端から下を見下ろし、花壇の方で蠢く“悪意の宴”を楽しげに眺めていた。
「メルクリウス、皇女様のことは貴方に任せるわ。
絶対動くわよ、あのシェパードは」
その声に、後ろから歩み寄る気配があった。
かつての盟友、今は同じく“蝕まれた神官”――メルクリウス。
目は赤く、だがその表情にはかすかな皮肉が浮かんでいる。
「相変わらずだね、ヴィヌス。“シェパード”呼びは変わらないか」
ヴィヌスは肩をすくめ、愉快そうに髪をかき上げる。
「だって、ガイウスはいつも“群れを守ろうとして吠える犬”じゃない」
「私が一番よく知ってる。だからこそ、ここからが一番楽しいのよ」
紫の光が夜の街に溶ける。
その笑みは、舞台女優のそれであり、
同時に“新しい悪意”の始まりを告げるものだった。