帰還編-かくして勇者は追放された - 2/6

村の納屋には、“元”勇者がいるという噂があった。
それは、誇りでもなく、むしろ村人たちの間ではちょっとした怪談として広まりつつあった。
その日、村の広場に漂う午後の空気はどこか緩やかで。
老若男女がいつものように他愛ない話をしていた。

「……帰ってきたみたい」
「えっ、勇者様!?英雄じゃん!」
村人は目を輝かせて言うが、もうひとりの村人は首を横に振り、小声で続けた。
「うん。剣引きずってブツブツ言ってた」
「それ怨霊じゃん!!」
その叫びは、遠く納屋にまで届きそうだった。

ガイウスが選んだ住処は――村はずれの古い納屋だった。
ロディは、何度も兄を説得しようとした。
「兄ちゃん、納屋に住むのやめてくれん?」
薄暗い空間の隅、ガイウスは壁にもたれかかり。
虚ろな目で天井の木組みを見上げている。
「……誰も来ない。落ち着く」
ロディは頭を抱えたくなった。
「いやそれは納屋の用途的に正しいけどさ……!」

村の子供たちも、この“元勇者”の異様な存在感には敏感だった。
日が暮れる頃、納屋の前を通る子供たちは、そっとヒソヒソ話す。
「呪いのお兄ちゃん、今日もいるかな……」
「勇者ってあんな感じだっけ?」
けれど、ガイウス本人はというと。
「いいじゃねぇか。響きが“断罪者”っぽくて」
むしろ得意げですらあるのだ。

ロディは、昼ごはんを持って納屋に向かう。
「兄ちゃん、昼ごはん食えよ」
しかし、返ってくるのは“呪詛”まがいの一言だった。
「……王族、滅べばいい……」
ロディはため息をつきつつ、ツッコミを入れる。
「怨念がすげぇよ兄ちゃん!!」
納屋の片隅で、ガイウスは今日も静かに佇んでいる。
英雄と呼ばれた男の、“名残”がそこにあった。

春の村は、どこまでも穏やかだった。
雪解けの小川、畑に芽吹く野菜、犬や猫も日の光を浴びている。
だが村には、何を言っても“怨念”に変換する男がいる。
朝――ロディは少しでも兄の気を晴らそうと、努めて明るい声をかける。
「兄ちゃん、今日いい天気だな~」
しかし返ってくるのは、澱んだ声。
「太陽が昇るのも、王族の罪が清められないからだ」
ロディは朝からツッコミを入れざるを得ない。

「朝から怨念やめろ!」
昼、畑の前。
ロディは育ちの良いニンジンを抜きながら言う。
「お、ニンジン良く育ってるな」
ガイウスは虚ろな目で畑を見つめ、言い放つ。
「この野菜……血で洗えば王族の首も斬れるな」
ロディは諦め顔で「収穫祝えよ」と呟くしかない。

春風に乗って鳥の声が響く。
「春近いな」
ロディがそう言うと、ガイウスは一瞬遠い目になり。
「処刑の太鼓に聞こえた」
「無理がある!!!」
ロディの悲鳴が村に響く。

昼下がり、焼きたてのパンを差し出す。
「兄ちゃん、今日のパン、焼きたてだぞ!」
ガイウスはパンを眺めながら、真顔で言う。
「……焼かれるのはパンだけでいい」
「処刑の比喩やめろ!!」

村道を犬が駆けてくる。
「兄ちゃん、犬がしっぽ振ってるぞ」
ガイウスは一言。
「……王族の犬は主の死肉を漁る」
「村の犬だよ!!純粋無垢だよ!!」

日だまりに猫が転がっている。
「兄ちゃん、猫がひなたぼっこしてるぞ」
ガイウスは、ふと優しい目をして呟く。
「……血に染まらないものもあったんだな」
ロディはホッとしながら「猫は平和の象徴にしてくれ!」と念を押した。
こうして村の春は“どんな話題もギロチン行き”という。
怨念ギャグとともに、ゆっくりと過ぎていく。

村の納屋に“元勇者”が住みついてからというもの。
ディノス村の人々は、いつの間にか。
彼を“呪いのお兄ちゃん”という愛称で呼ぶようになった。
おばさん連中は、夕方の市場で今日も井戸端会議に花を咲かせている。
「ロディちゃん、あんたの兄さんて、前から影があったわよねぇ」
年季の入ったカゴを片手に、おばさんがニヤニヤしながら言う。

「よく言うじゃない、“影ある男はモテる”ってね」
隣のおばさんも頷き、どこか楽しそうだ。
ロディは困惑を隠せない。
「いや、影通り越して怨念でしょあれ……」
けれど、そう言いながらもおばさんたちの手は。
ガイウスの好物――トマトをきちんと買い足しておく。

「ガイウスちゃん、トマト好きだったわよね?」
「また納屋に持ってってあげなきゃ」
村の子供たちも“呪いのお兄ちゃん”を遠巻きにしつつも。
納屋の前に落ちているトマトの皮やパンくずを見て。
「ちゃんと食べてるんだ」と嬉しそうに報告し合う。

「ねえねえ、呪いのお兄ちゃん、今日は何の呪い唱えてた?」
「王族滅ぼせって言ってた!」
「それいつもじゃん!」
「でも昨日は“猫は平和だ”って言ってた!」
「やっぱ優しいとこもあるんだねー」
ロディは呆れながらも、どこかホッとした気持ちで空を見上げる。
村に“呪いのお兄ちゃん”がいるというだけで。
なぜか村全体が、妙にあたたかい空気に包まれていくのだった。
納屋の片隅で、勇者は今日も静かに呪詛をつぶやいている。

その日のディノス村は、朝から荒れ狂う嵐に見舞われていた。
灰色の雲が空を覆い、遠くで雷鳴がごろごろと唸る。
「雷なんて年に何度もないのに」
村人たちが軒先で首をすくめるなか、ロディは焦っていた。
兄貴が住み着いているのは、村はずれのボロ納屋。

ロディはバケツをひっくり返したような雨の中、迷わず駆け出した。
傘?そんなものは無い。
ここはアルキード王国、傘をさす文化なんて誰も教えてくれなかった。
潔く濡れ、泥濘に足を取られながら。
「兄ちゃん雷やべぇぞ!今日だけは家に……」
叫びながら納屋に飛び込む。
そこで見た光景は、さらに想定外だった。

薄暗い納屋の奥、ガイウスは床に座り込んでいる。
雷の鳴る方角を睨みつけ、手には“数珠に見立てたなにか”。
ただの小石の連なりをザリザリ撫でていた。
ガイウスは、低く長いため息と共に、呪文のようなものを口にする。
「あぁ~~~~。くわばらくわばら……」
その声には妙に色気のある、他人の気配が混じっていた。
ロディは一瞬、背筋が寒くなる。
「兄ちゃんになんか幽霊憑いてるんだけどぉ!?!?」
納屋の屋根にまた雷が落ち、ガイウスはうっすら微笑みを浮かべ。

「いやァ、今日は天の機嫌が悪ィな」
普段の兄とは思えない“だらしなくも艶っぽい声”が響く。
ロディは「もしかして本当に死霊の類じゃないか……」と真剣に悩む羽目になった。
以降、この日を境に“三日に一度、兄ちゃんの口から別人の声がする”。
というディノス村七不思議が新たに加わるのだった――。

その日のアルドレッドさんち。
ディノス村、アルドレッド家は今日も妙な緊張感とともに始まる。
キッチンでは、ロディの母。
いつも“芯の通った優しいおかん”が手際よく朝食を用意していた。

「ガイウスちゃん、鶏シメてくれる?」
何気なく放たれたその一言が、居間にいたロディの背筋を凍らせる。
「この状態の兄貴にシメさせるの!?ホラーだよ!」
思わず叫ぶロディ。
母は腕組みしながら、冷静に返す。
「だってガス抜きさせないと、ホントに誰か斬りそうじゃない?」
ロディは絶句した。
言い返そうとしたが、こればかりは何も言えなかった。

誰一人、否定しない。
むしろ“納屋で鶏をシメている分には、まだ平和だ”とでも言いたげな空気が流れる。
ホラーと日常が“自然に共存”してしまうアルドレッド家、恐るべし――。

納屋の奥で、ガイウスはすでに鶏を手にしていた。
目は相変わらず虚ろだが、どこか落ち着いた様子。
「鶏シメんの、魔物狩りみたいで落ち着くんだよね」
兄貴の声が妙に低い。
「うん?」
ロディは首をかしげる。
ガイウスは、鶏を抱えたまま、どこか“陶酔”した表情で。
「ハァ〜……安らぎ……」
やけに色っぽい吐息まで漏らした。
ロディは反射的に一歩下がる。

「誰今の!?!?お前じゃないだろ!?!?」
次の瞬間、ガイウスはぽつりと呟く。
「あぁ、くわばらくわばらァ……」
怖い。完全に怖い。
だが、どこか日常が戻ってきたような、不思議な“家族の会話”でもあった。
アルドレッド家の一日は、今日も怨念とホラーとギャグ。
その絶妙なバランスで成り立っている。