演説の日が迫るにつれ、ロディとガイウスは納屋にこもり。
必死に“怪文書”の清書に取り組んだ。
だが「最早読めるレベルにない」原稿を“普通の演説”に整えるのは至難の業だった。
夜が明け、気付けば本番前日。
ほとんど練習もできぬまま、ロディは清書したカンペを手に途方に暮れる。
当日――いざ壇上に立とうとしたとき。
またも兄から衝撃の発言が飛び出した。
「……無理、カンペ読めない」
ロディは絶句する。
「お前が書いたんだろ!!」
ガイウスは平然とした顔で告げる。
「というわけで、代わりにお前、勇者やってくれ」
「はァア!?!?」
ロディの悲鳴が会場に響く。
ガイウスは、どこか達観した表情で続ける。
「俺、自分で言うのもなんだが……とても演説とかできねぇわ。
つーか王族、死なねぇかな」
もはやカジュアル怨念である。
「怨念がすげぇよ兄ちゃん!!!」
ロディのツッコミが、村に春を呼ぶ。
そのときロディは思う。
兄ちゃんは、確かに壊れて帰ってきた。
だけど、「勇者」って肩書きがどれだけ重かったか。
自分じゃ計り知れない。
ロディは深く息を吸って、カンペを握りしめる。
「……わかったよ。カンペくらいなら読んでやる」
「お前が今、世界を嫌いになってるなら、俺が嫌われてやる」
ガイウスは一瞬だけ、昔の“兄貴”に戻ったような顔で微笑む。
「……変わってねぇな、お前」
「……ありがとな。ほんとに」
こうして、「勇者代理ロディ」の覚悟が静かに芽生える。
兄弟の“重すぎる絆”と、“軽すぎるブラックギャグ”が交差した瞬間だった。
本来ここに立つはずの男は、其処に居なかった。
玉座の間に並ぶのは、誇り高き貴族たち、城塞騎士たち、宮廷魔術師たち。
その中央に立つのは、聖痕を持たぬ、ただの少年。
ロディ・アルドレッド。
手には、兄から託された紙束。
震える指で、丁寧に清書されたカンペを握りしめている。
王は玉座から、怒りに満ちた声を響かせる。
「ガイウス!? 貴様、どれだけ王族を愚弄するのだ!!
聖痕を持たぬ少年を勇者代理にした上、自分は立ち去るなどッ!」
その怒声の中で、ロディはただ静かに、下を向いたまま立ち尽くしていた。
一方で、王城の出口へと向かうガイウスは最後に振り返る。
そこに「笑み」はなかった。
彼の視線の先には、自分が書いた“怪文書”を必死に人間の言葉へ直した苦労。
そのすべてを知っているがゆえに。
「聖痕がない」というだけで否定する王族の態度が、どうしても許せなかった。
「ふざけてるのはお前らの頭だ」
ガイウスの声は静かに、だが鋭く響く。
「勇者って称号がただの勲章だと思ってんのか。……ならもういらねぇ」
「追放されなくても出てってやるわ!!!」
玉座の間が凍り付く。
その瞬間、第二幕序盤へと、物語は繋がっていく。
王都・玉座の間。
ロディは兄の背中を見送りながら。
ふと“あの日”のことを思い出していた。
ガイウスが初めて村を出て「前髪を出した」日。
村の聖痕試験の日、村人たちが嫌々ながら呼びに行った家。
薄暗い玄関口から出てきた兄貴は、いつものように前髪で顔を隠し。
猫背で“影”のように現れた。
村中から「厄介者」「怠け者」と囁かれ。
騎士ですら「本当にこいつが勇者か?」と絶望する空気だった。
でも、ロディは、ただひとり希望を抱いていた。
兄ちゃんは本当は強いんだ。
寝起きは最悪だけど、俺にだけは優しいんだと。
勇者の剣を掴んだその瞬間も、前髪で顔を隠しながら。
兄貴はただ無愛想に「……はいはい、これでいいですかぁ?」
と気の抜けた声を漏らしただけだった。
村で一番怠け者と呼ばれていた男が、世界の希望になった。
その瞬間のロディは、希望と、兄が初めて外に出た喜びと。
“このまま帰ってこれなくなったらどうしよう”という不安で。
ごちゃまぜになっていた。
今、王都の壇上で兄は“勇者”を手放し。
もう一度「外」に出ていこうとしている。
今度は、どんな顔で戻ってくるのだろうか?
ロディは、震える手でカンペを握りしめた。
「……マジで……何あったんだよ、兄ちゃん」
王都の静寂の中で、小さな“弟の祈り”だけが遠く響いていた。
玉座の間には、かつてない静寂と、新たな“伝説”の始まりだけが残された。
この「兄弟のバトン」が、新たな戦乱と絆を生むことになる。
ガイウスの背が霧の街並みに消えていく中。
玉座の間には重苦しい沈黙が落ちた。
誰もが、ただ無言で胸を撫でおろす。
生き残ったことが、何よりの幸運に思えた。
「“虹瞳が血の色に染まる時は、国が滅ぶ時”
古い言い伝えだが、まさか現実に目撃するとはな」
ひとりの老貴族が、脂汗を拭いながら呟いた。
同席していた騎士も青ざめた顔で頷く。
「聞いたことがある。初代勇者様も、一度だけ目が赤くなられたとか……」
声は震えていた。
「地獄すら生温い光景だったそうです。山は灰に、川は血に、城は跡形もなく……」
その場にいた者たちは一様に頷き、まるで“禁忌”を語るように言葉を濁す。
やがて別の貴族が、壇上に取り残された少年へと視線を向けた。
「……少年、感謝するぞ。
お前のおかげでラピアは更地にならなかったようなものだ」
突然の言葉に、ロディは慌てて頭を下げる。
「は、はい……」
だが胸の奥では、冷や汗が止まらなかった。
(え?兄貴そんな怒るとヤベェの……?)
玉座の間に残された者たちの脳裏に。
赤眼の勇者が振り返ったあの瞬間が焼き付いて離れなかった。
それは英雄ではなく、地獄の断罪者の姿だった。
霧の王都ラピア。
勇者代理として呼ばれたロディは、貴族たちの質問攻めにあっていた。
銀の食器と燭台の灯り。
隣では豪奢なマントを纏った貴族が、にこやかに問いかけてくる。
「勇者どのは……故郷ディノスにて、どのように過ごされていたのですかな?」
その瞬間、ロディの脳裏には兄の異常行動が、走馬灯のように蘇った。
雑にトマトを齧りながら「王族滅べばいい……」と呟く兄。
壁にトマト汁で「断罪者ガイウス」と血文字を書きつける兄。
村の納屋で剣をガリガリ地面に引きずりながら徘徊する兄。
雷鳴に合わせて「くわばらくわばらァ」と別人格っぽくなる兄。
(言えるわけねぇだろ!!)
ロディの背中を冷や汗が伝う。
しかし――弟は兄の尊厳のために、全力で空気を読んだ。
ロディはゆっくりと顔を上げ、落ち着いた声で答える。
「はい……しかし兄は深く傷ついておりましたので」
「一月かけて、ゆっくり静養させていました」
貴族たちは「なるほど、尊いご決断」と頷き。
会場はほのぼのとした空気に包まれる。
だがロディの心の奥では。
(いや静養どころか村中が怨念でホラーだったんだよ!!)
と絶叫が木霊していた。
このギャップこそ、アルドレッド兄弟の奇跡である。