新宿-飯テロ黙示録 - 1/5

ザザッ…ガガッ…
闇に沈むビルの一角で、くたびれた古いテレビが唐突に唸り声を上げる。
アンテナの先端から青白いスパーク、ブラウン管には無数のノイズが這い回る。
画面いっぱいに、ぼやけた「ヒル◯ンデス」風のロゴ。
この時代に、そのロゴを見る者がどれほどいるだろう。
崩壊した世界の片隅。
新宿のゴミ溜めに漂う、“熱海ロケ特集・再放送(サルベージ)”の幻影だ。

「今週も〜みんな大好き熱海特集〜♪“映え足湯スイーツ”を紹介しますっ!」
安っぽいBGMが耳障りなほど明るい。
だが、部屋の中には彩りも温もりもない。
レイスは壊れた冷蔵庫の上に腰掛けて、DAWSONロゴ入りのチップス袋をガサつかせる。
袋の端は焦げ、油で半分溶けている。けれど中身は「旨すぎるほど化学的」。
脳に直接パンチを食らわせるジャンクな味。
マカも同じ袋を持って、無表情でパリポリと咀嚼する。

テレビ画面には、眩しいほど明るい熱海。
女子アナが“足湯カフェ”でカメラに笑いかけている。
背景には“Enjoy Atami”の文字。
画面の色彩だけが異様に生き生きしていて、現実とのギャップが逆に恐ろしい。
レイスがぽつりと呟く。
「……また熱海だな。」
マカも無表情のまま「また熱海ですね。」
ふたりの会話は淡白だが、どこか切実な諦観が混じる。
世界はすでに死んで久しい。
それなのに、テレビだけが「生きていた頃」を延々リピートしている。
ノイズまみれの再放送、それが唯一の“娯楽”だった。

「映えスイーツ!スチーム足湯カフェ♪」
画面では、女子アナがスプーンで謎のスイーツをすくい。
「おいし〜い!」と甲高い声をあげる。
その声も、どこか壊れかけの機械音に聞こえる。
レイスは、ふと哲学者めいた顔になる。
「なぁマカ……ヒルナンデスって集合的無意識なのか?」
マカはチップスをひとかけ口に運び、首を傾げる。
「急に哲学するな。今は“足湯カフェ”のコーナーです。」
レイスは鼻で笑い。
「だって、滅びてもなお再生され続けてるんだぞ。
誰が見てんだこれ。……いや、俺か。」

ブラウン管は、ザザッ……ピキッ……と。
まるで世界の終わりを飽きもせずリピートする。
新宿の夜は胃袋のように粘つき、胃酸めいた緑のネオンがビルの谷間を舐めている。
「足湯スイーツ」だけが、この死んだ街で、ありえないほど眩しく光っていた——。

壊れた冷蔵庫に腰かけたレイスが、煙草を咥えたまま画面を睨む。
テレビでは、ノイズ混じりのバラエティ番組が“熱海特集”を延々リピートしていた。
映るのは笑顔の女子アナ、湯けむり、スイーツ、幸福の残骸。
「……集合的無意識ってやつはよ、つまり“みんなで同じ夢見てる状態”なんだよ。
このヒルナンデスもそうだ。みんな飯食って、笑って、忘れる。……死んでもなお、な」
独特の抑揚、無駄に艶っぽい。
声は妙に低く“妙に聴き心地がいい”トーン。
ちょっとだけ眠そうで、でもやけに哲学的なやつ。
まるで誰かの悪夢を朗読してるみたいにブツブツ続けるその声は、なぜか妙に耳に残る。

隣のマカはというと、膝の上でポテチの袋をいじりながら、完全に聞き流していた。
画面の女子アナを見つめ、ふとぼそり。
「この人、不倫しましたよね」
煙草の煙がふわりと揺れ、レイスは笑うでもなく答えた。
「気にすんな。スキャンダルは女子アナのお家芸って蜘蛛が言ってたぜ」
「いやなお家芸ですね」
「だから面白いんだと」
──沈黙。
テレビの中では湯けむりの湯気が、まるで霊魂のように立ち昇っていく。
レイスは煙を吐きながら呟く。

「みんな、笑いながら腐ってく。……それが平和ってやつだ。」
マカは頬杖をついて、映像のプリンをじっと見ていた。
もう、誰も熱海に行けない。けれど、テレビは今日も笑ってる。

マカは、ブラウン管の画面越しに何度目か分からない観光ホテルと、
湯気を立てる瓶プリンの映像を眺めている。
瓶のラベルはすでに読み取れず、温泉街の建物も現実にはとうの昔に消えている。
「ていうか、熱海いまスノーベリルじゃありませんでしたか」
と、素直な疑問を口にし、レイスが気怠げに応じる。
「そうだぞ」
マカは小さく首を傾げた。
「もしも気になっていったところで、ないではないですか」
二人の会話を遮るように、テレビの画面は“かつて”の観光地をリピートする。
瓶プリンを掲げる女子アナの笑顔。
「本日も満室です!」という、幻のホテルマンの明るすぎる声。
——もう食えないグルメを、もういないタレントが食レポしている。
世界が壊れる直前、その一瞬をリピートし続けているような、
作り笑いとサンプルスイーツの地獄。

マカはチップスをかじりながら静かに呟く。
「亡霊ですよ、もう。見る亡霊」
レイスは不敵に笑う。
「でも楽しいだろ、虚無で」
部屋の中に漂う化学調味料の匂いと、不自然に明るい画面だけが生の名残だ。
それすらも、次の瞬間に崩壊する。
画面のノイズが強まる、女子アナの明るい声が不気味に反響し。
番組の映像は徐々に「グリーンアウト」現象に侵されていく。
足湯カフェの水面は異常発光し。
プリンやケーキ、アイスの山が、蠢く肉塊に変貌する。

「……え、これ演出?」
レイスは一瞬、いつもの飄々とした顔を消す。
「違うな。——来るぞ。」
テレビの電波が途切れ、画面全体が濃厚な緑色に染まる。
次の瞬間、外の空が不自然なネオンの海へと変化し、
新宿全体が“グリーンアウト”を始める。
街路樹も看板も窓も、すべてが毒々しい胃液色の光に包まれていく。

テレビからは、もはやノイズまみれの声だけが残響する。
どこまでも陽気に、だが遠く反響して。
「今週も、みんな大好き……熱海特集♪」
画面はやがて、何も映さず、ただ緑の光だけが部屋を満たす。
風がぴたりと止まり、世界が一瞬だけ——“静かすぎる”虚無に沈む。
その沈黙が、腹の虫が鳴き出す前の、最悪の合図だった。

レイスとマカが、ほぼ同時に首を傾げた。
何が起きているのか、まだ誰も分からない。
部屋の外から足音。
水飛沫がアスファルトを打ち、蛍光グリーンのしぶきが宙に弾ける。
駆けてきたのは少女、メーデン。
その髪はネオンの毒色を受けて、死人のように淡い緑にきらめいていた。

「レイスさんっ!今、新宿ヤバいです!」
「ハンター支部からスクランブル出てるんですけど……」
「何故かみんな“空腹で動けない”って!」
部屋に緊張が走る。
レイスは苦笑して、ジャンクフード片手に肩をすくめる。
「はァ? 飯抜きでもうギブアップか?」

メーデンは切実な声で続ける。
「違うんです、魔力計が“胃の活動音”拾ってんですよ!」
「あの街、今“鳴ってる”んです!」
レイスはチップスの袋ごと動きを止めた。
「……鳴ってる?」
メーデンは焦燥を隠せない。
「空全体が、腹の音みたいに鳴ってるんですよ!!」
「私は支部へ戻るので!いいですか!?様子見なんかしちゃいけませんよ!」
そう叫ぶと、メーデンは再び蛍光グリーンの水飛沫を蹴って消えていく。
彼女の影だけが、異様な緑の残像となって残る。

マカはDAWSONチップスを咥えたまま、レイスと目を合わせる。
「……あれはもう、“新宿に行け”って言ってるものじゃないですか。」
レイスもチップスを噛み砕く音を残して頷く。
「だな。」
彼はちらりとテレビに目をやる。
「……おい、番組変わったか?」
画面はノイズまみれにバグり、BGMが突如として途切れる。
代わりに、どこか機械的なニュース音声が流れ出した。

「フードロスは……今の日本を深刻に蝕む現代病の一つです。」
「多くの食べ物は製造され過ぎて消費期限を迎え、破棄される現実にあり……」
「人々は“満たされている”と錯覚しながらも、実際には——飢えていたのです。」
映像は次々と切り替わる。
山のように積まれる廃棄弁当。炎に焼かれる野菜や肉。
ノイズと共に、“FAMINE”のロゴが一瞬だけ現れる。
マカは首をかしげる。
「……なんです?教育番組?」
レイスは一瞬、顔を曇らせた。
「違ぇな。……“奴”の警告だ。」

その瞬間、画面のノイズが一度だけ“形”を持つ。
背を向けた誰かが一瞬だけカメラ越しに現れる。
「気高く、飢えろ。」
——画面が闇に沈む。
電源が落ちると、部屋全体が真っ暗に沈む。
その静寂を破るように、遠くから“腹鳴り”のような低音が、新宿の地面ごと揺らした。

マカは無意識に腹を押さえた。
「……腹の音じゃないですよね?」
レイスは静かに、虚無の闇を見据えて言う。
「あぁ。——街の、腹だ。」
ビル群が淡い胃液色に発光し、一斉にネオンが緑へと変貌する。
摩天楼の谷間から煙のような魔力が立ち上り、
都市全体が巨大な“胃袋”として、静かに蠢き出す。
ナレーションはもはや機械音のように淡々と流れ続ける。

「人は飢えによって、限界を超えてきた。」
「そして今また、“飢餓”が街を満たす。」
——胃袋と化した新宿。
“飢え”の神が、静かに、腹を鳴らす。