新宿-飯テロ黙示録・後編 - 1/4

空気が一瞬で静止した。
呼吸の音さえ消え、音がないことが音のように響く。
マカの声がその中心に沈む。
魔法陣の中心からレモンイエローの雷光が弾け、空気を焼くように走る。
ビルのガラスが反射して、新宿全体が昼のように光った。

「——召喚!!」
世界が裂ける。
光の柱が天を突き、雷鳴が幾重にも重なって響く。
地面が反転するような衝撃の中から、ゼルグライド=ヴォルディガンが姿を現した。
黒い甲殻を持つ巨竜。
節々に走る蛍光イエローのラインが明滅している。
翅が開くたび、ビル風が弾ける。
金属が軋む音と雷鳴が混じり、その全身から放たれる圧は。
“存在するだけで空間を食う”ようだった。

キガが目を見開き、無邪気に笑う。
「おぉ、すげぇカッコいい!!」
「竜形態のオレに似てるじゃん!!」
レイスは煙草をくわえ直し、片目だけで笑う。
「似てるっつーか、食い意地の気配がそっくりだな。」
雷と胃液の匂いが混じり。
世界は再び“食う側”と“食われる側”に分かれようとしていた。

雷鳴が、街そのものの心臓音のように響いた。
顎がゆっくりと動くたび、空気が震え、電流の匂いが立ちこめる。
黒い甲殻の隙間を、青白い閃光が這い回る。
それは生物の神経でもあり、世界の回路そのものでもあった。
信号機が一つ、二つとショートし、街全体の灯りが明滅を繰り返す。

ゼルグライドが顎を鳴らす。
低く、金属と雷鳴が混じったような声が、地面の奥から響き渡る。
「……呼んだか?」
尾を引く雷がアスファルトを焦がし、その余波でビルの窓ガラスが一斉に震えた。
黒い鱗に埋め込まれた無数の稲妻の筋が、胃の中の電流のように這い巡る。
竜でありながら翼は昆虫のように透明で、プリズムの光を反射していた。
それは美しく、そしてあまりにも危険な構造だった。
「雷のやつ(ユピテル)がいないようだな。……まぁいい。」
声音は雷鳴そのもの。言葉の端に、金属の共鳴音が混ざる。

彼女が魔導院を“飛び級”で卒業できた本当の理由。
それは、目の前の竜——ゼルグライド=ヴォルディガンの存在にある。
召喚士の多くは、複数の精霊獣や魔獣と契約し、その“枠”を使い分ける。
だが、ごく限られた者だけが「世界に一体しかいない」特別な召喚獣を呼ぶ資格を得る。
その権限を持つ者は、召喚士としての才覚だけでなく。
“悪魔を統べる力と人格”、そして“危険な領域に手を伸ばす覚悟”が求められる。

魔導院側が特別に“認定”したその存在こそ——
四大召喚獣(フォルス・ビースト)。
ゼルグライドは、その中でも“雷”の名を冠する空竜であり、
召喚者であるマカ、そしてユピテル——
この二人しか搭乗・制御することができない、世界に唯一の獣だった。

その黒い甲殻と蛍光の神経ライン、プリズムのような翅を広げる姿は、
人の想像を遥かに超えた“雷の王”そのもの。
——世界に一体しかいない召喚獣。
「四大召喚獣」とは、召喚士が“世界の理”そのものと交信し、
召喚権を与えられた時にのみ現れる特別な存在である。
ゼルグライドの咆哮がビル群を貫くたび、マカは内心で思い返す。
「自分は、この力を正しく使えているのか?」

それでも、これが、自分が“選ばれた”理由。」
そう自分に言い聞かせ、魔法陣の輝きの中で命令を下す。
雷が走り、都市が消える。
召喚士に与えられたこの“権限”は、祝福であり、呪いでもあった。
「ゼルグライド、命令はシンプルです。この虚偽の空間と発生源を——討て!」
ゼルグライドは顎を開き、声の代わりに雷鳴で応えた。
光が収束し、咆哮とともに世界を裂く。
街中の液晶スクリーンがバチバチと軋む音を立て、
次の瞬間、ビルそのものが砕けた。

ガラスが粉雪のように散り、鉄骨がねじれ、液晶パネルが割れる。
それは破壊というより、咀嚼。
新宿そのものがゼルグライドの顎に噛み砕かれていく。
破片が雷光に照らされ、飴細工を砕く瞬間のように美しく、そして儚い。
キガは爆風の中で帽子を押さえ、風圧に逆らいながらも楽しそうに笑っていた。
「おぉ、荒々しくていいねぇ。」
「破壊の仕方に本能がある。……嫌いじゃねぇよ、ああいうの。」
緑の瞳が、雷の反射で妖しく光る。
その光は、まるで自分と同じ“食う側”を見つけたような歓喜だった。

ゼルグライドは、崩壊したスクリーンを顎で挟み、バリバリと咀嚼する。
中から溢れる火花を舌のような雷で舐め取り、雷鳴混じりの声で呟いた。
「悪くねぇ。虚飾と電解液の味がする。」
「人間ども、よくこんなもん毎日喰って生きてやがったな。」
レイスは爆風を避けながらも煙草を咥え直し、
片目を細める。
煙が風に流され、火花の光を柔らかく映す。
「おいおい、胃袋の中から文明批評かよ。」
マカは呆れ顔で叫んだ。
「文句は言わず、働いてください!」
雷鳴が応えるように再び轟き、ゼルグライドの翅が大気を裂いた。
電流がビル群を貫き、残骸と幻影をすべて“焼き消す”閃光が走る。

胃袋の黙示録に、今度こそ“現実”が牙を剥いた。
雷鳴が空を割いた。
ゼルグライドの咆哮が大気を貫き、その声は地脈にまで響く。
同時にキガの魔力が共鳴し、二人の“食う者”が呼応した瞬間。
空が黒と緑と黄の渦を巻き始めた。
雲が焼け焦げるように歪み、雷が渦の中心で絡み合う。
胃袋の中で蠢く電流のように、空そのものが生き物じみて動いていた。

〈新宿東口・結界領域〉

雷と緑の光が世界を塗り替える。
ビル群が蛍光に照らされ、ゼルグライドの巨体はその真ん中にそびえていた。
顎の下で雷光が閃き、咆哮がまた一度、空を引き裂く。
その足元で、風に煽られながらも笑っている影があった。
キガだ。
彼は爆風に髪を乱されながらも。
ステージライトの下に立つ俳優のように、どこか楽しげに口元を歪めていた。
「んじゃ、デカブツ出てきちゃオレも——この体じゃ分が悪いってことで。」
軽く伸びをし、関節が鳴る音が空気を裂く。
笑いながら、彼は言った。

「ちょっとだけ、“元の姿”に戻ってやろうかな。」
瞬間、世界が裏返る。
彼の影が地面いっぱいに広がった。
液体のように波打ち、アスファルトを飲み込むように溶けていく。
街全体が“黒い水面”に変わり、キガがそこにゆっくりと沈み込んでいった。

音が消えた。
空間が無音のまま歪み、ビルの輪郭が曲がる。
遠くの空が引き延ばされて、呑み込まれるように沈んでいく。

ゼルグライドはその光景を見上げ、虹色に透ける翅をゆるく広げた。
稲妻を反射した眼が、どこか愉快そうに煌めく。
「こいつは……壮観だな、ご主人。」
彼の声は低く、金属の共鳴を含んでいる。
雷が翅の隙間を駆け抜け、ビルの屋上を焼いた。
「俺たちは胃袋どころか——こいつの“口”の中にいたみてぇだぜ?」
風が止んだ。
代わりに、あらゆる方向から咀嚼音が響いた。

それは肉を裂く音でも、石を砕く音でもない。
“空気そのものを食う音”だった。

電柱の影が裂け、そこから鋭い牙が覗く。
ビルの壁面が波打ち、その隙間から目も鼻もない巨大な“口”が生まれる。
アスファルトの亀裂が開き、無数の歯が並び、舌のような影が蠢く。
黒い唾液が地面を溶かし、世界はひとつの“消化器官”へと姿を変えていった。
口の中は、真っ暗だった。
見えないほどの闇の奥で、確かに“何か”が蠢いている。
何を喰っているのかはわからない。
だが、その噛み砕く音だけが全方向から響き渡っていた。

新宿は、完全に喰われる側の世界へと変貌していた。
キガの笑い声が、まるで地面の底から這い上がるように響いた。
その声は柔らかく、あやすようでいて、聞いた瞬間に肌の下がざわつく。
「あはは、ちっちゃい……かぁ~わいい♡」
「逃げられるなんて思っちゃダメだよ? すぐ結界ごと溶かしてやるから。」
優しく聞こえる。
けれどその“優しさ”が、何よりも恐ろしかった。

キガの声は、擬態ではない。
世界を侮っているわけでも、冷笑しているわけでもない。
本心から愛おしく思っている声。
まさに——キュートアグレッション系地獄。
レイスは煙草を咥えたまま、目を細めた。
煙草の火が、黒と緑の渦の中でわずかに赤く明滅する。

「……嬢ちゃん(メーデン)、運良かったな。」
「これ見てたら、気絶してたぜ?」
口元には笑み。
だが、その笑みはどこまでも冷たかった。
レイスでさえ笑うしかなかった。
胃袋の中で、これほど純粋な悪意を見たことがない。
「……つーか、俺でも胃の奥がキュッとする。」
冗談のように聞こえるが、それは戦慄の告白だった。

結界の中心で、マカが立ち尽くしていた。
周囲の光が歪み、魔法陣がノイズのように明滅している。
「……空間が、食われてる……」
声が震える。
「時間も……魔力の流れも……飲まれてる……」
魔法の理が崩壊していた。
空間座標が歪み、詠唱の韻律が引き延ばされ、
“魔法”という概念そのものが胃酸の中で溶かされていく。

ゼルグライドが低く笑う。
雷光を含んだ咆哮が大気を揺らし、牙が光を弾く。
「“飢餓の神”が“口”になるってのは理に適ってるな。」
「欲望そのものを形にしたら、こうなるわな。無限の口、終わりのない食事。」
巨竜の瞳がキガを見上げる。
だがそれは敵を見る目でなく、同族を見る目だった。
地平線がぐにゃりと曲がった。
空と地面の境界が溶け、世界の輪郭が曖昧になる。
緑の霧が上昇し、黒い雷が空を貫いた。
そして——天空の中心、巨大な“口”が開いた。

空そのものが裂け、覗き込むように見下ろしていた。
その“眼差し”はないはずの口腔が放つもの。
生と死、食うものと食われるものを分ける、最初の境界線。
音が、消える。
代わりに聞こえたのは——世界が噛み砕かれる音だった。