巨大な心臓核を守る触手が、うねる。
夢見ぬ侵入者たちを一瞬で絡め取ろうと。
ゼリー質の体内から伸びる粘着質な鞭が、空間を貫こうとする。
だがその触手は、もう誰にも届かない。
マリーナは膝をつき、強化されたフリントロックを両手で構え直す。
銃身には、雷将ユピテルの魔力が脈打つ。
彼女は一度だけ深呼吸し、トリガーを引いた。
「賽は投げられた!」
閃光――火花の奔流が空間を裂き、弾丸が放たれる。
“ただの弾”ではない。ユピテルの雷を纏った、超電磁弾。
反動でコートが大きく舞い、マリーナの海賊帽がはじけ飛ぶ。
その瞬間だけ、時間が止まったような静寂。
弾丸は、青白く輝く心臓核を見事に貫いた。
……が、核は微動だにしない。
生物なのか機械なのかすら分からない“心臓”は、ただ静かに脈を打ち続ける。
ロコがパニック気味に叫ぶ。
「キャプテ~ン! 一撃で仕留めるつったのに効いてないぞ!!」
マリーナは、帽子を拾い上げつつにやりと口角を上げ。
海賊の余裕を浮かべて答える。
「いや、命中した!」
海賊帽をかぶり直し、冷静にロコへと目をやる。
「あのな、猫――雷ってやつはな、喰らったあとが一番怖いんだよ」
その言葉の直後、クラゲの心臓核が、ゆっくり、ゆっくり。
内側から青白い稲妻に裂かれ始める。
微かな音がし、やがて雷が暴れ出す。
ゼリー質の核全体が震え、無数の細胞が光の中に呑まれていく。
“遅れて効いてくる一撃”
それがマリーナと雷将の必殺、「賽は投げられた」だった。
マリーナはピストルを納めざま、即座に叫ぶ。
「脱出するぞ!! 心臓を潰した、もう長く持たない!」
ロコが尻尾を逆立てて駆け寄る。
「死ぬの確認しなくていいのか~!?」
ネプトゥヌスは、冷静なまま小さく微笑む。
「まぁ、ごらんください――心臓が」
その言葉通り、超電磁弾の雷が、クラゲの心臓核を内側から引き裂く。
最初は静かな閃光、次第にバチバチと青白い電撃が奔り。
核はゼリーごと轟音を立てて崩れ始める。
“致命傷”なのは火を見るより明らかだった。
何より――異常を検知したクラゲの“抗体”たちが暴れ始める。
壁からは粘液の触手、ゼリーのような細胞兵隊。
全身を真っ赤な警報色に染めて、一斉に侵入者たちを排除しにかかってくる。
レイスは背後を警戒しつつ、短く訊ねる。
「あと何分で沈みそう? 姫」
ネプトゥヌスはちらりと心臓のサイズを測り、即答。
「この大きさですと……30分ですわ!」
全員の目が一瞬で引き締まる。
「30分で、全部抜けるぞ!!迷ったら置いていく、ついてこい!!」
マリーナの指示が響く。
クラゲの体内全体が震え始める。
――崩壊、警報、抗体暴走。
地上――すさまじい揺れに。
甲板や集落の広場で待っていたモブ海賊や島民たちが一斉に立ち上がる。
波の向こうで何かが止まり、島そのものが呻くように沈み始めていた。
「まさかキャプテン、やっちまったんすか……」
海賊のひとりが蒼白な顔で呟く。
その隣で、老婆が手を合わせて叫ぶ。
「なんてことを!!神を殺されるなんて――この先、島はどうなるんだい!!」
「うるせ~ババア!因習村のテンプレみたいな反応してねぇで、乗り込め!!沈むぞ!!」
別の海賊が叫び返す。
パニックと怒号が交錯し、救命ボートや小舟に我先にと駆け出す。
「ママ~!! 沈む!? 沈むって島が!? オレ泳げない!」
少年の悲鳴に、母親が必死で抱き上げ「大丈夫、ママが守る!」と答える。
瓦礫のあいだから「キャプテンが帰ってきたぞ!」「早く乗れー!」
混乱と歓声、そして爆発的なエネルギーが巻き起こる。
海賊も村人も、敵も味方も。
「沈むぞ!」「キャプテンを信じろ!」「全員乗ったか!?」
めいめい叫びながら“沈みゆく奇怪島”を離れる船が一斉に出航した。
操舵士が甲板で絶叫する。
「キャプテンだ!スチーブンも子分四人も無事だぞ!!」
航海士が双眼鏡を覗き、半分ひきつった声で答える。
「なんか……顔が青白いんですけど?」
操舵士は鼻で笑い、後ろを親指で指す。
「当たり前だろぉ!後ろ見ろ後ろ!!」
――そこには、沈みゆく奇怪島の海面から。
バカでかい抗体の群れがうごめき、泡とともに大量に押し寄せていた。
船にたどり着いた五人、“島を沈めた主犯にして英雄”。
だが、その顔はあらゆる意味で“悲惨”の一言。
ロコは全身ずぶ濡れ、泣きながら「おいしくねーよ!」と絶叫。
ユピテルはボサボサの前髪を恨めしげに見つめ。
「髪型崩れた……最悪だ」と顔を両手で覆う。
ネプトゥヌスはびしょ濡れのドレスで「焼き魚は勘弁ですわ~!」とマジ泣き。
そんな中、マリーナとレイスだけは。
「やれやれ、またこれか」とでも言いたげに涼しい顔――怖い。
マリーナが甲板に叫ぶ。
「ロープ投げろ!タラップ下ろす時間がない!」
その背後――抗体の大群が押し寄せる。
全員、“英雄”の顔よりも“次に来る地獄”の方がはるかに心配だった。
一瞬だけ静まり返り、次の瞬間、全員でロープに飛びつく。
「誰でもいいから、早く引っ張れぇ!!」
「二度と海には潜らねぇぞ!!」
タラップなんて使ってる余裕はゼロ。
英雄たちの、見事な“命からがら帰還”だった――。
――甲板がごうん、と揺れる。
沈みゆく奇怪島の向こうで、子供たちの悲鳴が上がる。
「ミナ?どうしたの?」
「わたしのクマちゃんがいない!探してもいい?」
レイスは唇を噛んで一瞬だけ迷う。
「もうタイムリミットだ!あきらめろ!」
だがミナは泣き顔で首を振る。
「やだ、クマちゃん、いないとイヤなの!」
パニックの渦巻く甲板、周囲の島民も大人も海賊も、誰一人が余裕を失っている。
その瞬間――ネプトゥヌスが一歩前へ。
マリーナと一瞬だけ視線を交わし、ドレスの裾を翻して海へダイブする。
沈みゆく奇怪島を背に、月光を浴びた蒼き人魚が海面に現れる。
波しぶきを割って躍り出たその姿は、伝説そのもの。
青く長い髪が夜風に踊り。ドレスの黒が波間の光を吸い込んでいる。
一際目を引くのは、その尾鰭。
オーロラのカーテンのような光が水面で乱反射し。
青から紫、エメラルドグリーン、まるで宇宙を映したような煌めきを放っていた。
その大きな背中に、今しがたまでパニックに陥っていたモブたち。
海賊も、村人も、子供たちも――ただただその光景を見つめる。
「……あれが本物の人魚姫……」
「尾鰭がオーロラみてぇだ」
「昔話の“夜の虹”って、こういうことか……」
ネプトゥヌスは、振り返らず前だけを見ている。
横顔には決意と静かな覚悟。
すでに“蒼海女王”として、この海を切り拓く者の風格がにじんでいた。
「お乗りなさい! もうすぐで沈みますわ!」
レイスは即座にブーツを脱ぎ、濡れた甲板を蹴って背に飛び乗る。
真剣な瞳で見上げ、「頼むぜ、姫様」と低く囁く。
世界が崩れていく最中、一瞬だけ“神話”と“今”が重なる。
「ミナ、俺が必ずクマを連れ帰る。だから絶対、海に飛び込んだりするな」
レイスはミナの肩をしっかりと掴み、まっすぐに言い切った。
ミナは涙をこらえながら、小さく頷く。
「うん! しんじゃ……やだよ」
レイスは一度だけ優しく目を細め、「死なないんだけどな」と小さく笑った。
「まぁいい、姫! 飛ばしてくれ!」
次の瞬間――蒼い尾鰭が跳ね上がり、ネプトゥヌスは波間を切り裂いて疾走する。
レイスはしっかりとその背にしがみつき、海中を光の帯が駆け抜けていく。
暴走する“白血球魔物”の群れがうごめく中、
レイスはちらりと沈みかけた瓦礫――ミナの家だった場所を一瞥し、
無言で目を伏せた。
「……あそこに、ミナが住んでいた……」
だが、諦める気配は微塵もない。
呼吸を整え、水面と瓦礫の流れを読み切る。
「水の流れから……あっちだ」
波の上に、もう“道”はなかった。
かつて集落だった家々は次々と傾き、屋根も柱も軋みを上げながら。
洪水のような濁流に押し流されていく。
空は灰色。雲は低く垂れ込め、空ごと沈みそうなほど重たい。
その下で、赤い髪のレイスが静かに歩く。
パーカーの裾も、ジーンズもずぶ濡れ。
その眼差しだけが、嵐の中心で迷いなく前を見据えていた。
その背後、かつて「島の守護」だったはずの白血球魔物の群れ。
巨大な口、うねるゼリー状の体。
集落ごと全てを飲み込む勢い。
でも、振り返らない。
「――ミナのクマだけは、必ず連れ帰る」
静かに呟き、レイスは瓦礫の隙間を泳ぐように駆ける。
流れに逆らい、水の中へ手を伸ばす。
この世界に“奇跡”なんてない。
でも、自分の“約束”だけは絶対に曲げない。
ただ一人、流されていく希望を追い続けていた。
遠くでモンスターが吠え、嵐が記憶を飲み込もうとする。
それでも、レイスの手は諦めなかった。
瓦礫に引っかかった流木、傾いた桟橋の端。
そこに、波に揉まれながらぷかぷかと揺れるクマちゃんの姿があった。
レイスは、ぎゅっと拳を握りしめる。
「……よし、待ってろよ」
下はもう、すでに水没。
“免疫細胞”の魔物が、泡を吹いて蠢いている。
だがレイスは迷わない。
屋根の残骸や浮き家の壁を、慎重に――だが大胆に渡っていく。
その視線は一瞬たりともクマちゃんから逸れなかった。
“生きるための執念”だけが、今の彼を突き動かす。
背後でネプトゥヌスが叫ぶ。
「急いで! このままじゃ飲み込まれますわ!」
レイスは短く応じる。
「わかってる、任せろ!」
その瞬間――泡を立てて免疫細胞の魔物が跳ねる。
巨大な口、ゼリーの触手が、レイス目がけて迫り来る。
だがレイスは、ピクリとも動じない。
「デケェ口してんな……」
「そんなに突っ込んでほしいなら――くれてやる!」
そう言うなり、海水に片手をズボッと突っ込み。
指先から“氷の槍”を瞬時に生成、魔物の喉へ容赦なくぶち込んだ。
氷の槍は、免疫細胞の咽喉(のど)を貫き。
その「呼吸」を完全に凍てつかせた。
「今だ――!」
レイスは迷いなく腕を伸ばし、波間のクマちゃんをひったくるように掴み取る。
魔物は口を開けたまま、ゼリー質の体を小刻みに震わせ。
酸素を求めて必死にもがく――だが、氷は解けない。
水中、やがてその巨体は力なく沈んでいく。
泡を立て、苦しみの名残を漂わせながら“テリトリー”ごと。
ゆっくりと、深い闇の底へと引き込まれていった。
この魔物は本来、陸でこそ力を発揮する“生きた免疫”だった。
だが島が沈み、世界が反転した今――
もうその役割を果たす場所も、理由も失われていた。
瓦礫とともに落ちていく白血球の亡骸。
それは、奇怪島という「生物の終わり」を象徴する静かなラストだった。
レイスは水面に浮上しながら、一瞬だけその沈みゆく影を見やった。
「……さよならだ」
生き延びるために戦い、記憶とともに沈んでいくものたち。
終わりと始まりは、いつだって同じ場所から生まれる。
光に向かって泳ぎながら、レイスは“何も持たずには帰らない”という。
小さな誇りだけを、しっかりと胸に刻んでいた。
水面を突き破るように飛び出したその瞬間。
背後で“奇怪島”が音もなく、完全に海中へと没していった。
水しぶき、息を切らせる自分、手の中にはミナの大切なクマちゃん。
世界の終わりに、小さな奇跡がひとつ、確かに救われていた。