深淵怪文書 - 1/5

ガイウスはママかもしれない

アバドン・なかよしハイツの薄汚れたリビングで。
またいつものように今日も飯がまずい!と、末っ子サタヌスの叫び声が響いていた。
だがその日、彼が口にしたのは、いつもより数段、いや数階層下の、地獄じみたワードだった。
「待てよ? “地母神”だろ?」
サタヌスは手にした冷えた炒め物を放り出しながら呟く。
「つまり……ガイウス、ママか!?」
一瞬、時間が止まる。

ヴィヌスが口にしていたコーヒーカップがカシャンと小さく音を立て。
メルクリウスは聖典をめくる手を止めた。
そして、当の本人――ガイウスは、盛大にむせた。
「ママぁ!!???」
耳を疑うような金切り声が、アバドンの空を揺るがした。

「おいふざけんなサタヌス! どこをどう見たら俺がママなんだよッ!」
怒り心頭のガイウスに、サタヌスはニヤつきながら指を立てる。
「だってよ、“地母神”だろ?地・母・神。ママでしょ?」
「ちげーよ!!!力であって性別じゃねぇ!!!」
「でもお前、妙に面倒見いいじゃん。
背中トントンするの上手いし、ケガしたら速攻で絆創膏貼るし」
沈黙するガイウス。アホ毛が2本ともシュンとしぼむ。
メルクリウスが眼鏡の奥からじっと見つめ、静かに言った。

「なるほど。地母神のごとき慈愛、勇者にして母性の権化。“ママ・ガイウス”、ここに誕生か」
「誰が産んだ!?」
「いや、お前が“産んでる”側だろ?」
「ヤメロォォ!!」
確かに彼は、異形の力を内包した“アバター・ガイウス”と融合を果たした。
その結果、彼の肉体は地母神の如き慈愛を纏い。
拳は大地を震わせ、足跡は草木を芽吹かせる始末。
「これ、もう“勇者”じゃなくて“母”では……?」
そう囁くヴィヌスの声が、遠くから風に乗って聞こえた気がした。

彼の手から放たれるのは、地を癒す魔力。踏みしめれば、世界が応える。
だが、最も衝撃だったのは手作りパンが異様にうまいことである。
生地はしっとり、香り高く、なによりあったかい。
だが、材料は明らかに拾い物だった。
スラムの市場の裏で見つけた麦、森の木の実、そして謎の根菜。
それでも味は至高。
サタヌスが3個目を食いながら呟いた。

「……これが……“母の味”……」
「涙で……塩味増してやがる……!」
ガイウスはただ、火の番をしながら焼きあがったパンに布をかける。
「ほらよ。冷める前に食え」
その声に、もはや逆らえる者はいない。
否、それは指揮命令ではない——慈悲であり、福音であった。
もはや女神じゃん。てかママじゃん。

場面は、なかよしハイツのリビング。
証言台(ダンボール製)に立たされたガイウス。
未だ「ママじゃねぇ!!」と抗議を続けているが証人たちは止まらない。

【証言①:ヴィヌス(被害者の会・会長)】
「……え、待って……私、あの人に靴下乾かしてもらったことある」
ヴィヌスはゆっくりと口を開く。その表情は、戸惑いと畏怖。
「あと……1回だけ、戦いのあと……おでこにキスされたの。“よく頑張ったな”って……」
その瞬間、彼女は目を伏せ、唇を震わせた。
「なんなの……この感じ……母性が……溢れてる……っ!!」
背後に現れる光背エフェクト。
誰かが「ミニ聖母像かな?」と呟いた気がした。

【証言②:メルクリウス(別の意味で被害者)】
「ま、待ってくれ!いやいやいやいやッ!?」
聖職者のくせに動揺がダダ漏れな神官男子が、机を叩く。
「僕の腹黒ポエムまで読んでくれたんだよ!?
しかも、あの内容で“お前はそれでいい”って肯定してくれたのは……嬉しかったけど!?!?」
顔が真っ赤。語尾が裏返る。

「……だがママではないッ!ママでは……っ!!」
——だが、ログは残っている。
かつて、雨の日にメルクリがポツリとつぶやいた言葉。
「……ガイウス……」
直後に自己嫌悪で赤面し、ダッシュ退場した。

【証言③:アバクリウス(最悪の存在)】
そのとき、不意に部屋の影が“ぬるっ”と動いた。
そこから姿を現したのは、“精神の影”そのもの——アバクリウス。
「ガイウスはねぇ……」
その笑みは優しくも、どこかねっとりと濡れていた。
「甘やかしすぎなんだよ、ママかお前は?」
視線だけで空間が一度死ぬ。

「……兄ってのは、もっと“こう”だろ。
支配して、押し付けて、崇拝されて、壊すものだよ」
その語り口は、まるで“家庭”という言葉の終焉だった。
「うわぁ……なんか今、ラスボスの風格出てたぞ」
アバドンの夜。
スラムの空は今日も曇り、電光掲示板は意味不明な文字列を繰り返している。
その中で、叫びが響く。

「うわぁ影兄貴出た!コイツ存在が怖いからやだ!!」
サタヌスは耳を塞ぎ、アバクリウスの“兄の呪詛”から逃げるように、
誰かを求めて走り出した。
「ママああああああああ!!!!!!」
彼が飛び込んだのは、ガイウスの胸。
ぼろぼろと泣きながら、顔を埋め、叫ぶ。

「おれさぁ……もうダメかと思ったんだよ……」
「やかましい!俺はママじゃねぇっつってんだろ!!!」
怒鳴りながらも、ガイウスの手は反射的に動いていた。
迷いなく、確信を持って、サタヌスの頭を撫でていた。
ごしごしと、時に優しく。
撫でられるサタヌスは、赤子のようにうとうとしはじめている。

ガイウスの目元は、柔らかく。
口元は、自然と笑みを浮かべていた。
――まるで、ほんとの“母親”のように。
「ちげぇっつってんだろ……俺はママじゃねぇ……」
そう呟く声は、どこか遠く。
だが、誰もがその姿に、何かを見た。

地を育む者。
命を守る者。
拳で包み、パンで癒す、アバドンの母なる勇者。

全ての始まりは妄言だった。
だが、妄言とは、真理が照らされる前の詩である。
そして今や、アバドンは知っている。
――彼が、ママであることを。

【結論】
ガイウスは地母神なので、たぶんママです(?)