深淵怪文書-五 - 2/4

サタヌスは膝の上で手を組んだまま、深刻そうに天井を見つめていた。
その目が急に据わってくる。
「いやでもマジで……俺、ユピテルがプル公と寝たらアダるかもしれん」
ウラヌスが、ポテチをぽりぽりしながら振り返る。
「アダる?なにそれ、スラム語?」
サタヌスはソファにもたれて、珍しく低い声で続ける。

「いや俺専用の鎌、“アダマス”って言うんだけどさ……」
「何を斬ったのかって話になると、メルクリウスが沈黙すんだよ。なんなら目泳ぐ」
カリストは映画の余韻からやや復活しつつ、静かに問いかける。
「それで、何を斬ったのですか?アダマスは」
サタヌスは一瞬だけ、皆の視線を受け止める。
次の瞬間、ゆっくりと、ためらいなく――自分の腰の下を、指さした。

部屋の空気が、一瞬で“凍死レベル”に冷える。
全員が察した。冗談でもギャグでもない。
「神話原典ガチ忠実」な、物理的トラウマが降臨する。

カリストは語尾を震わせ、手も少しだけ震えていた。
「それは……恐ろしい」
ウラヌスは、なぜか真顔でポテチを口に運ぶ。
「成る程。男が一番恐れるやつだわ」

サタヌスは小さく肩をすくめて、
「だろ?だからプル公に手出しされたら、俺は…アダる(ガチ)」
空気がさらにひんやりとする。
ウラヌスは、ほとんど感心したように頷きながら
「いやでもさ、サタぬ。アダマスが“それ”斬れんのマジでヤバいって」
「ユッピーのあのチビ体型だと防御無理だよ?」

カリストは焦りの色を滲ませて。
「ユピテル様……」
本気で心配そうに呟いた。
サタヌスは、もう何も隠さず心の底から嘆いた。
「だから止めときたいの!ユピテルの下半身より俺の精神が崩壊すんだよ!」
ウラヌスはポテチを転がしながら冷静に返す。

「雑巾(プルト)側が怒らなければ問題ないけど?」
「怒らせたら俺が死ぬのお前知らんの!?」
リビングに沈黙が落ちた――
次の瞬間、どこからともなく“カタッ……カタッ……”という音が響き出す。
アダマスの“秒針音”――リアルな時計のカチカチじゃなく。
不穏に間延びした、空間ごと息を止めさせる音だ。

カタッ…………カタッ…………カタッ……

誰も息を吐かない。
部屋のBGMすら遠ざかり、異界の時だけが妙に粘っこく流れていく。
誰もが、“アダる”という言葉の真意を全身で味わっていた。
カリストは、涙の名残を残したまま、小さな声でつぶやく。
「あのサタヌス?アダマスの音がするんですけど」
サタヌスは一瞬で青ざめた。
「え!?ちょっと俺召喚してない!?あ、正しくは戻してない!!」
ウラヌスはテンションだけノリノリ。

「ホラーじゃん★」
そう言ってスマホをかざして動画撮り出しそうな勢いだ。
慌ててサタヌスが鎌のほうへ駆け寄ると、そこには静かに佇むプルトがいた。
いつも通り無表情。けれど、その赤い瞳だけが、アダマスをじっと見つめている。
サタヌスはバツが悪そうに「あ、プル公……ごめん今しまう」と声をかける。
だが、プルトは一切目を逸らさずに、ぽつりと返す。

「もう少し」
「え?」
「この音、好き」
再び、カタッ……カタッ……と音が響く。
アバドンのリビングが、まるで深海の底みたいに静まり返る。
サタヌスの脳内では警報が鳴っていた。
(やべぇ……初めて好きなもんわかったが、よりによってアダマスかよ)
また、カタッ……カタッ……と音が空間を刻む。
サタヌスは覚悟を決めて、少し低い声で問いかける。

「なぁプル公」
プルトは答えない。ただ、アダマスだけをじっと見つめている。
「お前、ユピテルになんか、そういうことされたら……俺に言え。うん、絶対な」
プルトは無言。でも、その無言が拒絶でも否定でもなく、
ただサタヌスとアダマスの気配だけを受け入れているようだった。

カタッ………カタッ………
サタヌスは自分でもよくわからない感情を抱えながら言う。
「……そんなに好きなら録音しようか?」
プルトは一瞬だけ目を細めて「いや、直接がいい」
サタヌスは微妙に照れ隠しでうなずく。

「そうか……音フェチは拘るって言うもんな」
その一連のやり取りを横目で見ていたウラヌスが、超冷静にポテチ片手で言い放つ。
「カー君、朴念仁って七つの大罪にカウントすべきだよね」
ソース味ポテチをもぐもぐしながら、どこまでも平常運転。

カリストは膝を抱えたまま、涙の余韻とサタプル嫉妬で顔が真っ赤。
「私、あいつ蹴っていいですか?」
足だけがピクピクしている。
「やめとけ。蹴ったらエンドロール流れるから」
今日何度目かの、乾いたまとめで場の空気を締めくくる。
――アバドンの夜、狂気も情も、鎌の音にすべて吸い込まれていく。

なかよしハイツの共用スペースは、朝からカオスだった。
勇者ズも住民も、各自まったり朝食や雑談を楽しんでいる。
そこに、空気をまったく読まないユピテルが堂々と現れる。
ウラヌスが、スマホ片手にユピテルへ通達を出す。

「通達だよユッピー。雑巾に手出しちゃダメ、以上★」
ユピテルは面倒くさそうに手をひらひら振りながら、
「プルトに手出すな?するわけねぇ~だろ」
「こンな骨ばったの――絶壁だし、女っ気ゼロじゃん」
完全なるガチトーン。悪気も色気もまるでない。
ただ自分基準であっさり言い放つその様子は、サイコ野郎そのものだった。
周囲は一瞬でフリーズする。
BGMごと時間が止まったみたいに、空気が冷える。

その沈黙のなか、サタヌスの顔色が変わった。
どこか遠くから、アダマスの「カタッ……」という不穏な音が微かに響く。
サタヌスは低い声で、目を細めてユピテルに問いかける。
「……今、何つった?」
ユピテルは飄々と肩をすくめる。
「あ?だ・か・ら~プルトに興味ねぇって――」
サタヌスは一言も返さず、静かにアダマスの鎌に手を伸ばす。
「……その発言、覚悟できてんだろうな?」
その場にいた全員が息を呑んだ。
「ヤバいヤバいヤバいヤバい」

サタヌスは珍しく論理的に、しかし本気で釘を刺す。
「お前が女にだらしない事は把握済みだし、俺も人のこと言えた人間じゃないからいいんだよ。
だがな――さっきの言葉はもう……アダるぞ」
ユピテルは片眉を上げて小馬鹿にした笑みを浮かべる。
「アダる?殴るの類語か?俺にそンな脅し聞かないよ」
――その瞬間、空気は完全に死んだ。

死亡フラグは、今ここに立った。

サタヌスは無言でアダマスの鎌をちらりと見せる。
その瞬間、共用スペースの空気がビリビリに張り詰める。
周囲の住民たちも“絶対に目を合わせちゃいけない空気”で固まる。

「んじゃ見せてやる、これでアダるんだよ」
その言葉に、ユピテルの目がギラリと見開かれる。
一瞬で体が後ずさり、声が裏返る。
「!!? そ、その鎌は……やめろ、向けるなぁ!カリストぉぉ!!!」
その悲鳴に、カリストは迷いなくユピテルの真横に滑り込む。
いつもの冷静さはどこへやら、独占欲むき出しモードでガードする。

「ふふ、ユピテル。あなたも“男の子”なんですねぇ?」
その目はしっかりユピテルの前に立ちはだかりつつ。
どこか嬉しそうにニヤけている。
ユピテルはカリストの袖をギュッと掴み、涙目になりながら訴える。
「頼むカリスト、あの鎌だけは……」
カリストはここぞとばかりにドヤ顔で微笑む。

「……あなたが“頼る”の、私だけですね?うふふ、全部守りますから…全部…」
ギラついた独占欲がMAX、その視線には誰も割り込めない圧が宿る。
サタヌスはニヤリと口元を吊り上げた。

「おいユピテル、斬れねぇもんは“神のそれ”くらいだってよ?お前、試してみるか?」
わざと刃先をユピテルに向けて、場の空気をさらに締め上げる。
ユピテルは全身で後退しながら、本気の引き笑いを漏らす。

「やめろ、やめろぉおお!!くわばらくわばら…!!」
そんなカオスの中、ヴィヌスは舞台袖から冷静にツッコむ。
「雷神様にも“本気でビビる”ものがあったのね。新たな弱点発見だわ」

――そして、ここで「サタヌスでもわかる!アダマス超ざっくり解説タイム!」

アダマスとは?
ギリシャ神話がまだ「黎明期」だった頃――
地母神ガイアが、あまりにクソヤバな夫(天空神ウラノス)の横暴っぷりに業を煮やし。
「もう許さん!!」と作った伝説の鎌。

その名もアダマス──ギリシャ神話最強の鎌!
「で、何を斬ったか」と言うと……
ズバリ、ウラノスの最も大事なところ!!(ここは各自ご想像にお任せ)

メデューサの首すら斬った伝説級の武器だが、
初使用が伝説すぎて、フィクションだとトラウマ級&封印されがちな“最恐アイテム”。
「一線超えたら命も大事なとこも持っていかれる」神話界のチート鎌。
うっかり逆らうと、ユピテルみたいにガチでビビる羽目になる!

ヴィヌスはため息ひとつ、どこまでも女王様な口調でまとめに入る。
「天空神はお盛んってよく言うわ」
「ユピテル、あんたに特効入るためみたいな鎌ね、そのアダマス」
ユピテルは涙目で叫ぶ。

「わかった!わかったから!?鎌をしまえガキィィ!!」
だがサタヌスはガチトーンで詰め寄る。
「二度とプルトに手出さないか?」
ユピテルは魂の叫びで応じた。
「二度どころか一度も出してねぇンだよなあ!!」
ここで、サタヌスの脳みそは完全にオーバーヒートし、“その場の勢い”に支配される。

「よし!償いに……カリストとラブホ行け!!」
共用スペースにざわめきが走る。
「なンで!?!?しかも朝だぞ!?朝ラブホとか何それ!?何プレイ!?」
ウラヌスはポテチをポリポリしながら、ノリノリの一言。

「いいねぇ〜朝活♡」
カリストの乙女スイッチがMAXに入る。
「ユピテル様、連れて行ってください♡」
目がキラッキラ輝いている。
ユピテルは泣きながら叫ぶ。

「いやだああああああ!!!」
だがカリストの腕力に抗えず、ズルズルと引きずられていく。
「やだああああああ!!」と情けなく叫びながらも、止められない。
サタヌスはそれを見て、妙に遠い目をする。
「……あいつやっぱユピテルより筋肉あるじゃん……」
雷神の威厳、ここに崩壊。

「どうする雑巾?ハスド爆食いすれば多少は肉つくかもよ」
「ほら、深淵のミスド(ハスタードーナツ)三箱いっとけ三箱」
プルトは静かに袖をいじりつつ「アレは3個でいい」
ちょっと恥ずかしそうに付け足す。

「……でも今日は暇。バザール連れて行って」
その一言にサタヌスのテンションは秒速でMAX!
「よし!!ウラヌス、ハスド行くぞ!!」
「雑巾は3個でいいらしいよ〜」と、からかい声をかぶせるウラヌス。
その瞬間、また“カタッ……カタッ……”と、アダマスの音がどこからともなく微妙に響く。

バザール行くだけで幸せそうなプルト、それ見て浮かれるサタヌス、
まだ遠くでカリストに引きずられて泣き続けるユピテル、
空気読んでるようで読んでないウラヌス。

――こうしてアバドンの日常に埋もれる
“平常運転の狂気”として、何事もなかったように幕を下ろすのだった。