深淵怪文書-参 - 2/4

数日後、深淵圏域SNS──通称“ドリフター”に、一本の動画が投稿された。

タイトルは、
『ナラクにヤバいガキおったwww』
サムネは、雷光で一瞬照らされたゲーセン内部。
しかし本編は違った。

動画には、和太鼓型筐体の前に立ち、魂ごと叩き込むように太鼓を連打するひとりの少年の姿が映っていた。
顔はうつっていない。
だが、揺れるスカーフ、ボサボサの黒髪、浅黒い肌、そして——
小柄な体躯に不釣り合いなほど鍛え抜かれた筋肉質な腕。
その背中を見れば、彼を知る者には分かる。
叩いているのは誰か。

コメント欄は荒れに荒れた。
「あれ魔法じゃなくて打撃で雷出してない?」
「地元で神を呼ぶ祭儀やってたんだが?」
「この動き……“伝説のガキ”じゃん」
「アバドンやっぱ最高だわwww」
別の意味で世界がざわつき始めていた。

ハイツの食堂、モニターの前。
動画を見ながら、ヴィヌスが額に手を当ててうめく。
「……この子が真剣になると、ろくなことが起きないのよ……」
画面の中では、バチを握るサタヌスの背中が雷光に照らされていた。

そして、その日の夕刻。
なかよしハイツ・地下倉庫にて、異変が確認された。
祭り用の和太鼓一式、忽然と姿を消す。
残されたのは、皮肉にも貼り紙だけだった。
『借りる。魂を叩き込む準備はできてる。──サータ』
全てはここから始まる。
雷神召喚、正式儀式編——

なかよしハイツは、深夜2時に太鼓が響く。
理不尽? 仕様である。住人は慣れている。
今日もサタヌスと太鼓ジジイ以外は安眠している──
……はずだった。

だが、この夜は少し様子が違った。

「ダンダンダンさん、今日はマジでお願いします!!」
「おう!雷様が起きるぐらいの爆音ぶちかまそうぜ!!」

ふたりの影が、ハイツの屋上で向き合っていた。
満月の光の下、太鼓ジジイが半裸で構えを取る。
その両腕には、邪神信仰のタトゥーと筋肉のエフェクトが走っていた。

——太鼓ジジイによる本気の、“雷神ビート”が始まる。

ドンッ…… ドドンッ…… ドドドドドドドドン!!!

サタヌスもドラム缶を逆さにして、スティックでガンガン叩く。
コンビネーションはもはや呪術。完全に儀式。
雷茸が風呂場から勝手に生え出すレベルの鼓動だった。

そして、リズムがクライマックスに達した瞬間——

“ピシッ……”

空間に音が走る。音ではない、“亀裂”のようなものだ。
空が裂ける。
——雷マークのヒビが現れ、そこから白い煙が吹き出した。

バチィィィィン!!!!!!

煙と共に姿を現したのは、
寝巻き姿の金髪の男、片手にスナック菓子。
両頬に黒い雷マーク。
どこからどう見ても、雷神ユピテルだった。「

「……ンあ?……誰が俺ンちの召喚スイッチ鳴らしたァ!?」
寝ぼけ眼のまま、キレ芸かます雷神。
「マジで来たああああああああ!?!?」
サタヌス、スティック投げ捨てて仰け反る。
太鼓ジジイはニッと笑いながら「やっぱ効くのォ……」と呟いていた。

翌朝のなかよしハイツ。
朝の光が差し込むなか、なかよしハイツの玄関に大家さんがやってきた。
「昨夜、雷神様が来たって本当?♡」
「太鼓の力は偉大ですねぇ〜」
いつもの穏やかな口調。だが手には何かを持っていた。
──差し入れである。

・雷の加護マフィン(ビリビリ感あり)
・アポカリプス教・聖典第99章(雷撃編)

「読んでおくと、雷属性のご加護が高まるんですよ♡」
なお、信者以外が読むと脳が焼かれる危険があるため取り扱い注意。こうして、
サタヌスは音ゲーを極め、太鼓で神を呼ぶ存在になった。
ユピテルも「マジで来るなよ……」と頭を抱えながらも、
どこか嬉しそうに屋上を見上げていた。

──翌朝・AM8:00/なかよしハイツ ガレージ前
朝食を済ませた勇者ズの数名と、一部狂信者たちが、不穏な目的のもとに集合していた。

「我々は今、神を呼ぶ条件を解明しようとしている」
メルクリウス・ゾルクォーデが腕を組み、厳かに宣言した。
「この場にいるのは、召喚成功者・検証班……そしてバグ」
「誰がバグだ」
とアバターガイウスが言いながら、テンションはやたら高い。
その手にはすでにバチ(竹刀を削ったもの)が握られていた。
明らかに叩く気まんまんである。

「まずはこの文化祭で使われた感あるドラム!」
アバターガイウスが指差す先には、派手な装飾が施されたジャズドラムセット。
どこから持ってきたのか誰も突っ込まない。
「俺は勇者だ!奇跡を起こす!!」
颯爽と叩き始めるアバターガイウス。まさかのジャズアレンジ。
指さばきは鮮やかで、リズムもなめらかだった。
──が。……ピカリともせず

サタヌスが小声で呟いた。
「ンだよ…ただのカッコいい音楽じゃねぇか…」
スティックを地面に落として項垂れる。
そのとき、誰かが動いた。

「──ッッ!?」
一同が振り返る。
そこにいたのは、台所の守護者・キノコ主婦だった。
しかも軽やかに、ビートに合わせて踊っている。
「な、なんで踊ってんだあの人……?」
ガイウスが引き気味に呟く。
メルクリウスがやや遠い目で補足した。

「……彼女、昔の文化祭でダンス部だったそうだよ。きのこ型ポンポン振ってたとか」
「え、きのこポンポン……」
サタヌスが何かを想像して青ざめる。
「見なかったことにして、次行こうぜ」
全員一致で検証を打ち切った。

次に出てきたのは、無表情でメモを取り続ける男——303号。
耳に常時ヘッドセット、背には謎のノートPC、目は死んでいる。
が、その脳内は常にフル稼働中だった。
「音ゲーはリアル反応速度が重要なんで……」
「雷神の召喚スキル、たぶんクールタイム制です」
「昨日のフルコンボから、次の再出現まで約8時間。つまり——」
ノートを指差す。

《雷神再召喚可能時刻:10:12》

「検証対象が神様なのに、出現時間管理されてるのおかしくねぇ!?」
サタヌスが叫ぶも、303号は聞いていない。
「召喚バフは“演出”と“魂ビート”の2種。属性相性は和太鼓特化」
「他ジャンルの太鼓は…非対応です(ゲームパッチ未対応)」
「RPGじゃねーか!!」
サタヌスが叫び、ガイウスはしゃがみこんで頭を抱える。

メルクリウスは腕を組み、やや満足げに言った。
「つまり今分かったのは——」
“神は和を好む”
“リズムと魂が一致すると天が割れる”
“文化祭ではキノコが踊る”
ということである。

「おいそれ最後の結論、ぜってぇ要らなかっただろ」
「……やはり……和太鼓か……」
「CT、あと1時間47分っすね」
──空には雲が、音もなく流れていた。
そして確実に、雷神再降臨の刻は迫っていた。

朝の陽光がなかよしハイツの屋上に差し込む。
時計の針が10時12分を指した瞬間、彼らは集合していた。
言うまでもない。雷神再召喚の刻限である。

準備は万全だった。
和太鼓は屋上中央に設置済み。
メンバーの手には全員、バチが握られていた。
もちろん、野次馬も当然のように集まっていた。
誰もがこの“儀式”の再現を見届けようと、息を潜めていた。

「ドリフトBBSから、アポカリプス讃歌フルver……最高音質で落としてきました」
303号がイヤホンを片耳に差しながら言う。
「いつでも俺のスマホから召喚フェーズ入れます。どうぞ」

「……懐かしいですね」
カリストが、和太鼓にそっと指を添える。
遠い目をしていた。
「丙にいた頃、祭りのたびに……この音が、響いていた」
「私にも、叩かせて下さい」
「ユピテル様の右腕として……呼んでみせましょう」
その瞳には決意と、ほのかな期待が宿っていた。
彼は静かに、バチを構える。
すべての動作に無駄がない。
流れるような動きで、“丙式・冷徹太鼓演舞”が開始される。
──氷の結界が、自然と発動した。

空気が急速に冷える。
屋上の地面に、薄く氷が張る。歩くとキシッと音を立てる。
バチが和太鼓に触れる。
凛とした空気に、低く澄んだ音が重なる。
風が止まり、紫の残響が舞う。
光が反射し、カリストの銀青の髪が風もなく揺れる。
「神様っぽい!」
坊ちゃんが素直に感想を漏らす。
「劇場版のOPかよ〜!」
ウラヌスが笑いながら言った。

誰もが、その美しさに見惚れていた。
演奏が終わった瞬間、しばらく誰も声を発せなかった。
──拍手が起こった。
それは当然の称賛だった。
演舞としては、まさに“神の技”だった。

だが。ユピテルは──来なかった。
空は晴れ渡っていた。
雲ひとつない、冬のように澄み切った青空。
痛いほど冷たい空気だけが、そこにあった。
カリストが、崩れるように膝をつく。

「……なぜ……なぜユピテル様が……出てこないのです……」
その声は震えていた。
「この演奏に……私の魂も……執念も込めたはず……っ!!」
「ユピテル様ァァァァァァ!!」
叫びは、虚空に吸い込まれていく。
雷鳴、鳴らず。
ただ──キノコ主婦の咀嚼音が、風に乗って聞こえた。

「いい出汁出てるわぁ〜〜」
この瞬間、誰かがつぶやいた。
「……完璧な演舞だった」
「だが、風流すぎたのか……?」