深淵怪文書-参 - 3/4

「わ、私が……」
白い軍服の青年——カリスト・クリュオスは、地に膝をついたまま震えていた。
「破廉恥な……ヘソ出し雷ガキに……」
唇がわななく。バチをギリギリと折れそうなほど握りしめる。
「ユピテル様への扉すら、敗北を喫するなんて……」
背後で、粉雪が舞い始めた。
気温が一段階下がる。自然発動する氷結界。
演出だけは完璧だった。

そこに、唐突に入ってくる軽快な声。
「はーーいッ☆」
脇から歩いてきたのは、舞台衣装のままのヴィヌスだった。
まるでバラエティ番組の司会者。

「今週の“召喚されないヤツ選手権”〜! 優勝は〜……」
「はい、あなた〜!白い軍服の嫉妬のかたまりぃ〜!!」
カリスト、崩れ落ちる。
文字通りガチ崩れ。
サタヌス、腹を抱えて爆笑。
「ダッハハハ!やっべ〜〜ほんとに来ねぇのな!!!」
アバターガイウスは崩れたカリストをぺちぺち叩いている。
「えいえい、おこったぞ〜!」

そのとき、サタヌスがふらりと立ち上がる。
「カリストてめぇ……優雅すぎんだよ」
「なんだあの所作。能かよッ!!」
ひと睨みしてバチをひったくると、
和太鼓の前に踊り出る。
「……こんぐらいの勢いじゃねぇと、ユピテルは呼べねぇんだよ!!!」

ドコドコドコッ!! カッカッカッ!! ドカッ!!
爆裂ビートが響いた瞬間、空が反応した。
空気が一気に暗転。
団地全体に陰が走る。
雲が、暴力的な速度で広がり、空を覆う。

風が巻き上がる。
団地の物干し竿がミシミシと揺れ、洗濯物が空を舞う。
風鈴が狂ったようにカランカラン鳴り響く。
「空が……っ」
崩れたままのカリストが見上げ、呟く。
「わたくしの……結界では、あの方は……来ないのですか……?」

隣のベランダから、悲鳴が上がる。
「っべー!!変T取り込んでない!!!」
洗濯物を抱えて奮闘するウラヌスが風に絡まっている。

そして完全解説モードの男が一人。
メルクリウスが静かに眼鏡を押し上げる。
「いや、あれは純粋な雷雲だ」
「雨は伴わない。……儀式だからね」
無駄に顔がキマっている。

一方その頃、まだスナックを食べていたガイウス。
「……演出だけで雷鳴るの、やめてもらっていいですかね」
その直後、頭上でピカッと光る。
「こええよ!!!!」

ドコドコドコドコドコカッカッカドコドコカァァァァァン!!

団地中に響き渡る、魂のビート。
もはや音ではない。呪いだ。祈りだ。
いや、これは——召喚。
雷は、確かに鳴っていた。

団地向かい・ラビットマート前の外ベンチ。
マルス・フローガはひとり、火酒入りの瓶を片手に静かに空を見上げていた。

彼の視線の先、上空が妙に暗い。
風が巻き、空気がざわめく。遠くから太鼓の音が聞こえる。
重低音が微かに、地を這うように振動していた。
「今日は雷、来ますかねぇ」
店内から触手でレジを打っていたウサギ店員が、ふと外を見て尋ねた。

「……雷霆か。南無」
短く返すと、マルスの肩に掛けられた赤い布が、雷のリズムに合わせてふわりと揺れた。
そのまま、誰もいない空間に向かって無言で一礼。
そして一言も発さず、図書館へと歩き去っていく。

一方その頃、ハイツ内では別の神事が進行していた。
「きのこちゃんは、雷に喜ぶのよ。雷様の恵みだわ~」
キノコ主婦がニコニコしながら風呂場を覗く。
風呂場の蒸気と雷のエネルギーが反応し、雷茸(らいたけ)が大量発生。
黒い傘に雷マークの黄色模様、ピリピリと光を帯びた謎キノコ。
鍋の中からバチバチバチバチ!という音が響く。
まさにビリビリ鍋。
この地の新たなる信仰対象——

信仰対象:雷神ユピテル様(生足)
信仰様式:和太鼓儀式 & なめ茸奉納

屋上から雷鳴が轟くなか——
ガイウスが、青ざめた顔で振り返った。

「なぁ……ウラヌス……」
「そもそもなんで、“太鼓で呼べる”って話になったんだっけ……?」
その視線の先、ベランダで洗濯ロープに巻き取られた本人が、ケロッとした顔で答える。
「あれ??私が堀川雷鼓カワイイって話してたとこからじゃなかったっけ?」
「で、太鼓叩くと雷出すって設定だったから……?」

「お前が諸悪の根源だぞ……反省しろ」
ガイウスの声が震える。脳のシナプスが焦げる音が聞こえた。
ウラヌスは一瞬だけ真顔になったあと——
「しません★」
隣で見ていた坊ちゃんがぽつりと呟く。
「……あの人、たまに混沌を撒きに来るよねー」
まるで自然現象でも語るように。
太鼓が神託となる世界に、もう誰も疑問を持っていない。

ドゴォォォォォン!!!!!!!

雷鳴と共に、空が裂けた。
ハイツ屋上の空間に巨大な亀裂が走り、そこから白い煙が吹き出す。
そして——その煙の中から、
傘もささずに現れたのは、
白い上着、短パン、生足……そして両頬に黒い雷マーク。

金髪が揺れ、目は寝起き。
雷神・ユピテル、降臨。
「てめェらァァァ!!!」
第一声がもう怒鳴り。
「また太鼓かァ!!!どンだけ叩くンだよ!!!」
だが視線が止まる。
和太鼓の前に立つサタヌス、腕に汗を光らせたまま、胸を張っていた。
「……って、お前、コンボ精度100%じゃねェか……」
ユピテルの眉がぴくりと動く。

「………よし。褒美だ!雷撃ッ!!!!」
次の瞬間、サタヌスの全身がスパークした。
体がビリビリ震え、煙を上げながら崩れ落ちる——が。
「……っつぅ……!!!」
顔は、誇らしげだった。

ユピテルはふぅ、と一息ついて振り返る。
「……ンだよ、もう。
カリスト、てめェのは“演舞”すぎんの」
「神楽じゃねェんだよ……魂をドコドコさせろって言ってんの!!!」
その言葉に、カリストはがくりと崩れ落ちる。
口元を引きつらせながら、小さく呟いた。
「私は……風流枠……」
横でドヤ顔のサタヌスが、バチを構え直す。

「俺の勝ちィィ!!!これが正統派だぁぁ!!!」
そして即・追いドコドコ連打。
ヴィヌスが叫ぶ。

「なにその文化祭ノリで雷神が来る世界なのよ!?!?」
「こっちは準備して、氷の結界まで張ったってのにィ!!」
太鼓ジジイがふらりと現れ、唐突に渋い顔で言う。
「……それが“おぬしの型”よ」
急に師匠ムーブである。
「わたし、型とかいらないんですけど!!」

「また俺の出番だぁぁ!!!」
アバターガイウスが太鼓に走る。
「お前じゃねぇ座ってろ」
即・ガイウス(本体)から制止が入った。
冷静な声、的確なツッコミ。
完全に双子の兄ポジションである。

雷神は降りた。
太鼓は鳴った。
演出は命であり、召喚はテンションだった。
そしてサタヌスのドコドコは、今日もアバドンの空に轟いている——。

雷鳴が轟き、空を割る。
そして太鼓の前では、ユピテルがドヤ顔で立っていた。短パンで。
ヴィヌスは限界だった。
「いや理解できないんだけど!!?」
「というか理解を拒むんだけど!!!」
額に血管を浮かべながら、彼女は叫ぶ。もはや舞台どころじゃない。

「なんで悪ガキの太鼓で短パンが来るのよ!!?」
「て言うかマジで雷鳴ってるわよ!!!?」
その瞬間、空が答えた。
ゴロゴロゴロ……
完璧なタイミングで鳴る、全肯定雷鳴。
「肯定するなあああああああ!!!!」

その頃、ハイツ1階の共有ランドリースペース——。
巨大な白い洗濯籠の中で、プルト・スキアはスヤァ…と寝ていた。
その姿に誰もツッコまない。

洗濯籠には『雑巾厳禁』の貼り紙。
でもこの籠の中身の方が明らかに危険人物である。
彼女は女の子としてはかなりの長身。
170cm台のすらりとした体格。
それでも——このハイツの洗濯籠は、包んでしまうのだ。謎の設計思想で。

坊ちゃんが近寄り、そっとタオルを一枚追加する。
「プルトちゃん、今日は寒いからね」
優しい世界がそこにはあった。
外で雷が落ちる音が響いても、プルトはピクリともしない。

だが、屋上から聞こえてきたヴィヌスの絶叫——
「短パンで来るとか意味わかんないんだけどォォォ!!!」
その声には、反応した。
一瞬だけ、目を開ける。
赤い瞳がタオルの隙間から光る。
「……うるさい……」
ぽつりと呟いて、目を閉じる。
完封防御。防音耐性S。感情ダメージ無効。

屋上は爆雷の演出と太鼓ビートでカオス大渦中。
1階ランドリーはバスタオルに包まれた殺し屋が“寝起きネコ”ムーブ。
雷が降っても、洗濯は回る。
信仰が乱れても、タオルは乾く。
アバドンの日常、それは太鼓と雷と洗濯籠のハーモニーである。

ユピテル降臨の余波が、まだ空に残っているなか——
屋上には、唐突な教養の波が吹き荒れていた。
「神に音楽を奉納するのは、古来から続く格式だよ」
メルクリウスが静かに語り始める。指を一本立て、聖職者らしい所作で。
「つまりサータが先ほど行ったことは……神事として正しい」
「………………」
ヴィヌスの顔が、ぴきぴきと音を立てる。
「ますますわからないわああああああああ!!!!!!」

ドガアァァァァァンッ!!

雷が、彼女の真横に落ちた。
「ツッコミのたびに物理で落雷すんのやめてくれる!?どんなRPGよコレ!!?」
声が裏返ったヴィヌスの髪がふわっと逆立つ。
一方その頃、太鼓ジジイは謎の神格モードへ突入していた。
もはや誰も止められない。
「今のは、Cコードからの雷ッ!!」
言い切った。意味は不明だが、語気は神だった。
なお、本人もたぶん意味はわかっていない。

「ハァ!?コード!?」
サタヌスが叫ぶ。
「おれ感覚でドコドコしてただけだぞ!!!」
音楽理論の枠外から殴り込んできた男である。
そのとき、隣のベランダから飛び出す声。
「雷サージ警報ゥ!!」
ウラヌスが紙メガホンで叫んだ。
直後、団地全体が——停電した。

「だいたいお前のせいだろサタヌスゥ!!!」
ヴィヌスの絶叫が空に響く。
その頃、ハイツ内の冷凍庫では。
ガイウスが氷菓子の溶けゆく姿を見守っていた。
「……俺のアイスが……」
涙目で呟くその横から、坊ちゃんがにこりと笑う。
「ボクが食べるから大丈夫だよ!」
英雄か。君は英雄なのか。

ガレージの片隅。
303号は無言でスマホを操作し続けていた。
仮想HUDに映るのは、気象パラメータと属性バフ数値。
「雷エンチャ音、確認」
「今の天候下なら、雷属性に+10%のブーストっすね」
「機械系レイドバトルやるなら今がタイミングっす」
メモリの読み取り、ログ確認、スキル反応速度……
全てが“ゲーム的”に処理されていた。

「今、雷神様の出現フラグ再発動入りました。CT5分」
「次、太鼓スタンバイお願いします」
「いや、何言ってんだコイツ」
とヴィヌスが言ったが、誰も止めなかった。

雷の祭りは、まだ終わらない。
そしてこの時、太鼓ジジイが叫んだ。
「次はDコードで試すぞォォ!!」
「Dってなんだよ!!」
「ドコドコのDだァァ!!」
団地雷鳴狂騒曲、まだまだ続行中