昼下がりのアバドン団地。
空は晴れ渡り、どこかで洗濯物がはためいていた。
一見平和そのもの——しかし今やこの地に暮らす誰もが知っている。
雷神は、和太鼓で来る。
それは科学でも魔法でもなく“そういう仕様”なのである。
「【速報】雷神ユピテル、和太鼓で来る」
そんなタイトルの動画が“ドリフター”のトップを飾った。
背景はハイツ屋上。
煙の中から現れる、短パン姿の雷神。
あまりにも堂々としている。
あまりにも神々しく、そしてあまりにも人間味がない。
コメント欄は阿鼻叫喚だった。
「生足で来たぞ」
「ドコドコ信仰、確立」
「雷茸の加護あり」
「あの団地、もう宗教でしょ」
現場では依然として祭りのような喧騒が続いていた。
サタヌスは太鼓を抱え、どや顔で立ち上がる。
「ほらな、オレのドコドコが一番効くって言ったろ!」
「……お前、誇る方向間違ってるわよ!!」
ヴィヌスが頭を抱える。
「なんで悪ガキの太鼓で雷神が来るの!? ていうかマジで雷鳴ってるわよ!?」
空から、律儀にゴロゴロと鳴り響く雷鳴。
——全肯定である。
その頃、団地の隅では
303号が無表情でスマホをいじっていた。
「雷エンチャ確認。ブースト+10%。今なら機械系レイド行けますね」
「お前は何を言ってるの」
ヴィヌスの声はもう震えていた。
メルクリウスが静かに眼鏡を押し上げる。
「神に音楽を奉納するのは古代からの格式だ。つまり——」
「つまりじゃないわよォォォ!!!」
ドガアァァァァァン!!!
雷がまた落ちた。誰ももう驚かない。
そんな混乱の中、ユピテル本人は団地のベランダでスナックを齧っていた。
「なンでスマホ持ってンのに、わざわざ太鼓で呼ぶンだ?」
「太鼓のほうが“呼んだ感”あるじゃん」
住人代表が真顔で返す。
ヴィヌスは空を見上げて叫んだ。
「演出豪華なのに現れるのが短パンなのよォォォ!!!」
キノコ主婦がその横で鍋をかき混ぜながら頷く。
「雷茸の発育に最適ね〜〜」
太鼓ジジイが屋上で言った。
「午後2時を過ぎると、雷雲が生成される。
雷神様も来る。」
誰が出したのかわからないアバドン広報が
翌日、正式にこう発表した。
『団地内では午後2時以降の和太鼓演奏により、
雷雲が生成される可能性があります。雷神様も来ます。
ユピテルはそれを見て、肩をすくめた。
「……まぁ、和太鼓は好きだぜ」
そしてサタヌスは笑った。
「照れてんじゃねーよ雷神〜〜〜!!!」
笑い声と太鼓の音が交錯する。
雷鳴がそれに応えるようにドドン、と鳴った。
アバドンの空に、新しい“宗教”が生まれた日だった。
—
その日の夜——
なかよしハイツは、雷鳴と笑い声に包まれていた。
昼間に降臨した雷神ユピテルの影響で、団地中の電圧が微妙に上がり、
風呂場やベランダ、屋上の鉢植えに至るまで、雷茸(らいたけ)が爆発的に繁殖したのである。
黒い傘に黄色の雷マークの模様。
雷鳴を受けるたびに“ピカッ”と光りながら目に見えて成長するという狂気の生命体。
辛味と痺れのハイブリッド。
鍋にすれば美味いが、煮すぎると鍋ごとビリビリする——そんなキノコ。
「さぁ〜できたわよ〜♡」
キノコ主婦の声が響く。
テーブルの上では、「雷茸と電撃豆腐のピリ辛鍋」がぐつぐつと煮えていた。
湯気の中に時折バチバチと青白い閃光が走る。
まるで鍋そのものが天を呼んでいるようだった。
中央のテーブルには雷茸鍋がぐつぐつと音を立て、
壁際のブレーカーは悲鳴をあげている。
それでも誰一人止める者はいない。
むしろ、これが祭りの合図だった。
ヴィヌスは両手を振り上げ、常識を捨てきれずに叫んだ。
「ねえ、おかしいでしょ!!」
「インド系ならシタールとかタブラで来るべきじゃない!?」
「なんで和太鼓で雷神なの!?和風バグじゃない!!?」
空気が震える。雷鳴がゴロゴロと応答。
もはや団地そのものがヴィヌスにツッコミを入れている。
その横で、303号(通称・MMO廃人)が
箸をドラムスティックのように構えて鍋をつつきながら、
妙に静かな口調で言った。
「いやそれ……ソウルビートってやつすね」
「種族とか文化とかじゃなく、“魂が反応するビート”が必要なんすよ」
意味不明だが、妙に説得力があった。
なぜか全員が頷く。
雷茸がバチバチッと光を放つ。
メルクリウスが顎に手を当て、講義モードに入った。
「雷の音は古来、太鼓の音に例えられてきたからね……」
「そして、あの男は——」
「和太鼓だけに反応した」
「つまりこれは、“形式”ではなく“原初の響き”なんだ」
「わたし、脳が雷で焼けそうなんだけど!!」
ヴィヌスの悲鳴と同時に、雷茸がピカッ!と咲いた。
「アチッ!!ビリッ!!でもうめぇ!!!」
サタヌスが笑顔で舌を焼きながら食べ続ける。
「ちょっとしびれてる……いや、口じゃなくて指が……」
ガイウスは真顔で手を振る。
指先からパチパチと放電している。
「うまっ☆てか雷鳴ってる中で食べるって、和風ファンタジー過ぎでしょ!!!」
ウラヌスは箸を空に向けてピースサイン。
「わたくしの髪が……っ!いやこれは……ユピテル様の力の証……ふふふふふ」
カリストは雷気をまといながら髪を爆発させていた。
誰も止めなかった。
「つまり、反応するのは“伝統”じゃなく“魂のドコドコ感”っすね」
雷茸が一斉にピカピカと光った。団地の外では、また雷鳴が響く。
この夜、誰かが言った。
「なぁ……この世界、バグってるよな」
誰も否定しなかった。
太鼓の音が遠くで鳴った気がした。
雷神は笑っている。
「うまっ!!舌ビリビリする!!!」
ウラヌスが笑いながら叫ぶ。
だが次の瞬間——彼女のツインテールが、ボフッ!!と爆発。
「ちょっと!?髪のボリューム2倍になったんだけど!?」
静電気で膨張したツインテールが、もはや二本の雷雲。
ポニテというよりアンテナ。
電波を受信しているようにピコピコ光っている。
「似合ってるぞウラァァァァ!!!」
と、隣のサタヌスが叫ぶ。
彼の箸からは青白いスパークが散っていた。
一方、アバターガイウスは——完全に覚醒していた。
髪が逆立ち、光のオーラを放っている。
「見ろ坊っちゃん!!これでかめはめ波が撃てるぞおおお!!!」
「やめろおおお!!!」
ガイウス(本体)が全力で止める。
だが本体の髪も同じく静電気で逆立っており、
兄弟そろって超サイヤ人状態だった。
「お前ら、箸で気弾出そうとすんな!!!」
ヴィヌスが怒鳴るが、声が雷鳴にかき消される
ユピテルは、胡座をかいていた。
半袖短パンのまま、手酌で酒を注ぎながら、ぼんやり鍋を見ている。
雷光がその頬を照らすたびに、瞳の稲妻がチラリと光る。
「……うまそうだな」
太鼓のビートに合わせて、空の雲が微かに鳴る。
本人も気づいていない。
神の存在そのものが、鍋のBGMだった。
「わぁぁ、また雷鳴ったぁ!!」
坊ちゃんが拍手する。
「この鍋、エンタメ性高すぎ!!」
キノコ主婦が微笑んだ。
「雷茸の出汁、いい感じね〜♡」
「おかわりー!!」
「放電しながら食うなー!!」
「カリストの髪、煙出てる!!」
「これは……神罰ではなく恩寵……」
ドンチャン騒ぎの中、ユピテルが小さく笑った。
「……和太鼓もいいが、こういう騒ぎも悪くねぇな」
屋上から雷鳴が響く。
それはまるで、神が笑っているような音だった。
そしてアバドンの夜は、最後のひと口までドコドコと燃えていた。
—
翌朝、アバドンの空は妙に晴れ渡っていた。
雷神が去った後とは思えぬ穏やかさ。
だが、団地の中はちょっとした異常気象だった。
勇者ズとハイツの面々が、全員サイヤ人状態だったのだ。
電気が抜けきらず、髪が逆立ち、服が時々パチッと放電する。
歩くだけでスパーク。笑うと帯電。
くしゃみでブレーカーが落ちる。
ガイウスが自分の頭を見下ろし、
半ば絶望したように呟く。
「なぁヴィヌス……」
「明日までサイヤ人だったら、俺……勇者返上しなきゃダメかな……」
髪は完全にベジット型。
前髪が重力を裏切っていた。
ヴィヌスは疲れた顔でため息をつく。
「美味しいからって食べすぎるからよ」
「まぁ、所詮電気よ。半日も歩いてりゃ抜けるわ」
そう言いながらも、彼女の髪もモフモフに膨らんでいた。
静電気でカーテンに吸い寄せられる女神。
威厳ゼロ。
一方で、ベランダに座る雷神ユピテル。
昨日、あの鍋を誰よりも食べていた男。
シメの雑炊まで平らげていたのに——
髪は一切、乱れていない。
サラッサラのままだった。
全員、同時に思った。
「やはり雷神……」
その圧倒的な耐性、もはや信仰の域。
ユピテルはいつもの気だるげな笑みを浮かべて、
空を見上げながら小さく呟いた。
「……くわばらくわばら……」
どこか懐かしそうな声。
雲の切れ間から、ほんの一瞬だけ雷光が光った。