竹下CHOCOLATE黙示録
深淵アバドン――その中心部、ネオンとデータの海が混ざり合う中央エリア。
人はそこを「電脳の雨都」と呼ぶが、裏の通称はもっと簡潔だ。
“顔が良くなる街”。
普段はスラムの悪ガキ代表・サタヌスも、ここに足を踏み入れた瞬間だけ
影と光のバランスが絶妙になり、声も低く響き、髪のハネすら計算された角度に落ち着く。
――つまり、中央エリア限定イケメン補正。
「深淵のデッカード」
それがこの地で彼につけられた二つ名である。
だが実態は、ただの雨の日の出不精が高確率で発動した結果にすぎない。
サタヌスは肩を濡らしながら、
真剣な表情でネオン街の中央へと進んでいく。
目的地は、中央エリアのランドマーク――テレビ塔「ABS」。
その頂上には、三邪神の一柱にして現世メディア帝王、アンラ・マンユのオフィスがある。
まるで復讐者のような足取りで歩むサタヌス。
誰もが息を呑み、モブ女子たちはスマホを構える。
「え、あの人…撮っていいの?」「いやもう撮ってる」
だが、この物語は勘違いの集大成である。
真実は、あまりにもくだらない。
「さーて社長……今回はどんなエンタメ見せてくれるかねぇ」
台詞の響きは完璧。だが内容は――
「ウラぬが“限定ガチャ”引きたいから行こう」
「プル公が“新作ナイフカプセル”見たいって」
というだけの話である。
つまり、遊びに行くだけ。
にもかかわらず、雨粒を弾くその姿はどの角度から見ても映画の主人公。
イケメン補正の罪は重い。
「……そんな顔でガチャガチャ行くのやめてもらえます?」
「うわー出た“深淵のデッカード”モードwww」
「……うるせぇ。俺は今、雨と会話してんだよ」
「会話内容:ガチャ残り3回!!!」
「……帰ります?」
そう、ここは顔面の治安が崩壊する街。
そして今夜もまた、雨が降る。
雨音に混ざるのは、ガチャの電子音とウラヌスの悲鳴。
次の瞬間、ABS塔の上階――
アンラ・マンユが、ワイングラスを回しながら笑った。
「フフ、来たね……私の最高の視聴率製造機たちが。」
――そして、番組『バグ・出演:あなた』が始まる。
高層ビル最上階。
雲の上を貫くガラス張りのフロア、その中央に鎮座する巨大デスク。
そこが、“万物の嘲笑”ことアンラ・マンユが運営する放送局。
ABS(Abyss Broadcasting System) の中枢である。
が、そこに訪れた三人のテンションは完全に社会見学のノリだった。
「社長ォ!おはよう!!!」
ドアを開けるなり破裂音みたいな声量。
もはや呼び慣れすぎて、「社長=アンラ様」という構図が固定化している。
一応、目の前の男は邪神。宇宙を何度かバグらせた経歴もある。
だが今の三人にとっては、ただのバラエティ番組の司会者だ。
アンラ・マンユはくるっと椅子を回しながら、笑いかける。
「やぁ、ようこそ下等生物。ポテチならないよ?」
開口一番に下等生物。これが上位存在の挨拶である。
“おはよう”も“こんにちは”も、彼にとっては「生物学的優劣の確認」でしかない。
だが、誰も気にしない。
サタヌスはすでに床に座り、
コントローラーを手に持ってスマホゲームを起動している。
プルトはデスク横のソファに腰を下ろし、湯気の立つコーヒーを啜る。
ウラヌスはというと、社長の机の上にあぐらをかき、足をブラブラ。
完全に「常連客」神の部屋に緊張感ゼロ。
「見ての通り俺ら今日予定なくてさ。なんか面白いものないかな?」
「君達の退屈が世界を壊す――実に芸術的だね」
「せっかくだ、世界が溶ける瞬間ってもの、体験してみないかい?」
背後の大窓には、すでに“アバドンの裂け目”が覗いている。
ガラス越しに紫と黒がうねり、視界がノイズに溶けていく。
「行きてぇぇ!!でもそれ帰れるやつ!?」
アンラ・マンユは問題ないと、書類を片手に笑いながらいつもの決めポーズ。
完璧なシャーロックホームズハンドを決めて見せる。
今日も指の左右対称具合が芸術だった。
「安心しなさい。もう“帰る”という概念に慣れきってる君達には造作もない」
そう言って彼が机から取り出したのは――
ピンク色に輝くガチャガチャのカプセル。
「神域の欠片(キー)だ。好きに遊んできたまえ」
「……“神域”をカプセルにする意味が分かりません」
「“わからない”こそがエンタメの始まりさ」
「じゃあ今から世界、溶かしてきまーす!!」
かくして、神の許可付きで人間界(原宿)に突撃する三人。
この日、ABSの番組表にはこう記された。
《新番組》:異界竹下通り -あと1時間で全部溶けるよ-
出演:サタヌス、プルト、ウラヌス
監修:アンラ・マンユ(CV:悪意)
放送時間:世界が完全にチョコ化するまで。
竹下通りは、まだ何も溶けていない。
クレープの香りと、人混みのざわめきと、湿ったアスファルトの光沢。
この街に「世界があと一時間で終わる」などという気配は微塵もなかった。
通りの入り口で、プルトが足を止める。
視線の先には、まるで修学旅行生のようなテンションのサタヌス。
彼は自慢げに、胸のプリントを見せていた。
「どうだよ、プル公。“EAT MY CHAOS”って書いてある。カッコよくね?」
プルトはため息をつく。
完璧な無表情で、ため息だけで五行分の意味を伝える。
「ところでサタヌス」
「あぁ?」
「そんな服で竹下通りを歩くつもりですか?」
レインコートの下から現れたのは、着古されたジーンズと派手なロゴシャツ。
変な日本語が上下逆さまにプリントされており、どう見ても観光地の失敗Tシャツである。
しかもサイズが微妙に合っていない。
「これ着心地いいんだけど!」
サタヌスは真顔で抗議したが、その“真顔”が、逆にダサさを助長する。
プルトは顎に指を当て、冷静に断罪する。
「着替えなさい。命令です」
「はぁ!?なんで俺が——」
「命令です」
二度言われた。語尾が微妙に強い。
サタヌスはぐっと口を噤み、その横でウラヌスが爆笑していた。
「マキマさんじゃんwww」
声が通りに響く。周囲の女子高生が振り向き、「誰?」と囁き合う。
サタヌスは顔を赤くして肩をすくめた。
「うるせぇ……俺、別に服で勝負してねぇし」
「うんうん、存在がすでに負けてるからね♡」
プルトは無言で頷いた。
彼女にとって「似合わない服を着る」ことは、戦術的敗北に等しいらしい。
その後三人は、半ば強制的に竹下通りのショップへと突入した。
カラフルな店頭ディスプレイ、鏡に映るサタヌスの顔。
そして背後で店員が連呼する「かわいい〜!」の声。
どこを見ても異常はない。
だがこの“平和すぎる竹下通り”が、かえって不気味だった。
ウラヌスは飴を舐めながら空を見上げた。
「看板、文字ちょっと変じゃない?」
サタヌスが視線を上げる。
そこには“CREPE”と書かれたはずの看板が、奇妙なフォントで歪んでいた。
CЯ∑PΣ
気のせいか、光が少しだけ脈打っている。
「……なぁプル公」
「気づきましたね」
彼女は紅茶を一口。そして淡々と続ける。
「たぶん、もう始まってます」
サタヌスは眉をひそめた。
「何が?」
「社長の番組です」
ウラヌスは口の中の飴をカリッと噛み砕いた。
「うわ、マジで“放送事故”始まったじゃん!」
竹下通りは、まだ普通のはずだった。
だが、そこに流れている空気だけが――少しだけ、熱を帯び始めていた。
サタヌスはポケットに突っ込んだ手をぎゅっと握りしめ、視線を逸らすようにして肩をすくめた。
原宿の陽気な騒音が耳に入るたびに、彼の頬は小さく赤くなり。
普段の毒舌がどこへやら一瞬子供めいた黙り込みを見せる。
プルトの指先がフードをつまんで位置を整えるたび、世界の重心が不思議と安定するらしかった。
「……よろしい、変な文字のTシャツよりそっちが似合う」
プルトの声は眠っている刃のように冷たく、しかし無感情で正確だった。
サタヌスはその刃を笑いで包み隠すこともせず、逆に照れ笑いを消すために軽く顎を引いた。
「うぅ……でもプル公が言うなら……」
「俺ァ別におしゃれとかどーでもいいけどよォ……」
言葉の端に滲む照れは、かつてのスラムで鍛え上げた余裕とは別の種類の不器用さだ。
彼が“どうでもいい”と言えば言うほど、その背後にある小さな誇りと。
誰かに見られたくない部分が同時に顔を出す。
プルトはその微かな震えを見逃さない。見逃さないどころか、彼女はそれを確かめるように。
指先でフードの端をきゅっと引いた。
ウラヌスが両手にぬいぐるみを抱え、鼻歌混じりにぴょこぴょこ跳ね回る。
ぬいぐるみの目がぎょろりと光っているのが気になるが。
ウラヌスにとっては可愛さが全てを越える法則らしい。
「もうマキマさんじゃんwww」
「ポチタぬい買おうか? ギザギザのついたハートのやつ!」
彼女の言葉は軽薄だが、場の空気は重くならない。
原宿のカラフルな看板の合間を縫って、三人のやり取りは通りのBGMに溶け込んでいく。
だが、通りの端で小さな影がじっと彼らを見つめているのを誰も気にしなかった。
その視線はスマホを構える群衆ではなく、もっと奥に澄んだ好奇心を持っていた。
「……私はチェンソーマンに出た覚えはありません」
プルトの声に、ウラヌスが吹き出す。
笑いながらウラヌスはぬいぐるみの耳をつまみ、悪戯っぽく振り回す。
サタヌスはそれを見て目を細めるが、怒るでもなく、ただのツッコミを挟んだ。
「出ろよ。冥府の悪魔とか言って」
その瞬間、プルトの手がするりと動き、小さなナイフが黒いコートの袖から滑り出した。
刃先が一瞬陽光を拾って光る。
だがその光景は威嚇ではなく、むしろ儀式的な安心感を与えた。
サタヌスは微かに息を吐き、浮かんだ笑みを抑える。
「刺しますよ」
言葉は短く、純然たる誓いのように響いた。
通りにいた数人の視線が一瞬固まり。
だがすぐに気のせいだとでも言うように元の会話へ戻っていった。
竹下通りの平和は錯覚の薄皮一枚の上に成り立っている。
三人はその薄皮を踏みしめるように歩き、いつもの馬鹿話を続けた。
だが、いつもの馬鹿話の奥にある牙が、確かにこちらを向いている。
サタヌスがふと、空を仰いだ。雲の隙間で街灯が一瞬電気を震わせる。
ネオンが、ほんの少しだけ勝手に瞬いた気がした。
その微動は、世界の縫い目が緩み始めた合図かもしれない。
ウラヌスはお菓子の袋をぐしゃりと潰して笑い、プルトはナイフの柄を軽く握り直す。
三人の影が細長く伸び、竹下通りのアスファルトに刻まれていった。
「とりあえず、クレープで腹ごしらえだ」とウラヌスが言った。
彼女の声はすでに次の騒ぎを探していた。
サタヌスは肩をすくめ、プルトは無言で一歩を踏み出す。
世界が溶けるまで、あと時間は残っている。彼らにはそれで十分だった。