深淵怪文書-四 - 3/4

竹下通りは、もはやデザートでも戦場でもなかった。
“それ以外”としか形容できない、甘い地獄。

向こうでは特殊部隊の戦闘車両が、ゆっくりとフォンダン化していた。
タイヤはトリュフのように膨らみ、マシンガンの砲身から生チョコが垂れている。
米軍の偵察ドローンは溶けかけのマシュマロみたいに空を漂い、
「本部、繰り返す、チョコが……チョコが……」という通信だけが空に残る。
そんな光景を前にして、テンションが爆上がりする男がひとり。
サタヌスの顔に浮かんでいたのは、歓喜でも混乱でもない。
悟りの笑みだった。
世界が滅びる音がBGMにすら思える中、彼は突然立ち上がり、チョコの波に拳を突き上げた。

「おぉぉ!? 俺今思いついたんだけどぉ!!!」
声がデカい。空が震える。モニターのガラスが一枚ヒビ入った。
「世界中の兵器チョコにすれば、戦争起きなくなるよな!?!?」
その叫びに、米軍の戦車が完全に“カカオ72%”になって溶け落ちる。
後部からパイロットが這い出てくるが、もう全身がココアパウダーまみれ。
なのにサタヌスは構わず叫ぶ。

「やったぜぇ!! ノーベル平和賞は俺のモンだぁ!!!!」
ジャム瓶を高々と掲げ、スプーンでチョコをぶちまけながら踊るその姿は、
理性と常識の境界線を超えた原宿のチョコ神。
ウラヌスはその光景を見て腹を抱えた。
頭からチョコを滴らせながら転げ回る。

「コイツ世界滅ぼしてノーベル賞狙ってんだどぉおオオオオwwwww!!」
「マジで平和の定義ぶっ壊れたぁああ!!!」
狂犬ぬいを片手に振り回し、チョコまみれの世界に爆笑のシャワーを振り撒く。
溶けてるのは都市だけじゃない。倫理も、秩序も、ツッコミの限界も全部だ。
プルトはふたりの狂騒を見ながら、チョコまみれのスプーンを傾ける。
そして静かに、一歩前に出た。
その目は変わらない。声も、変わらない。
だが言葉は、間違いなく芯を射抜いていた。
「確かに戦争はできませんね」
背後でミサイルがチョコバナナになって落ちていく。

「オモチャが手に入れた傍から溶けるんですから」
サタヌスが振り返り、目を見開く。
「それだ!!! お前、マジで副賞だ!!副賞確定!!」
「副賞は……このチョコですね」
プルトはスプーンを構え、その動作はまるで新しい文明の儀式のようだった。

チョコで世界が滅びる。
だがチョコで、たぶん世界は救える。
だがそこに立っていた三人は、間違いなく生きていた。
チョコの泥沼で、笑っていた。魂ごと、甘く、バカみたいに。

サタヌスは満足げに息を吐いた。
手にしたジャム瓶の中で、チョコがとろりと光を反射している。
「よし……これで完璧だ」
瓶のラベルには、彼の字で雑に書かれた「原宿産」と「非売品」の二文字。
溶けかけた街のど真ん中で、彼は本気で土産を完成させていた。

だが、満足の余韻は一瞬で終わる。
地面が、低い呻き声のような音を立てて波打った。
沈む。舗道が沈む。
街ごと液状化したチョコの海の中で、高層ビルがゆっくりと傾いていく。

サタヌスは瓶を抱えたまま反射的に叫んだ。
「やっべぇ!? ビルに潰されたら暫く動けねぇぞ!」
それは、普通の人間なら「死ぬ」状況だ。
だが、彼らは普通ではない。
ビルに押し潰されようが、骨が溶けようが、死なない。
――死ねない。

問題は、動けなくなることだ。
このチョコの海では、動けないことはほぼ“溺死”と同義。
彼らは顔を見合わせると同時に、反射的に走り出した。
チョコの粘度が重く、足跡ひとつごとに音が鳴る。

「いくよぉ!せーのッ!」
ウラヌスが声を上げ、反重力魔法を発動した。
身体がふわりと持ち上がる。
チョコの海面を跳ねるように、彼女は空へ飛んだ。
リボンが反射光を切り裂く。

「いやだから魔法使えって!チョコ滝だぞ!!」
サタヌスは叫びながら瓶を抱え、ずるずると滑り落ちる。
後ろでチョコの波が崩れ、巨大なビルが沈む音が響いた。
「マリオはこんなの気にしないの!」
空中でウラヌスが、チョコの飛沫を蹴りながら笑う。
その笑いは、災害すらイベントに変えるテンションの高さだ。

プルトがその下から軽く跳躍し、紅茶を片手に付いてくる。
「その人、魔王より有名ですよ」
サタヌスが振り返りざまに叫ぶ。
「理屈が分からない!!」
その瞬間、背後で巨大な影が落ちた。
チョコに沈みゆくビルが、波のように押し寄せてくる。
ウラヌスは振り返り、口角を上げた。
「波きた! チョコサーフだ!!」
「誰が乗るかぁ!!」

サタヌスの怒鳴り声がチョコの蒸気に飲まれ、
プルトはため息まじりに紅茶をひと口。
「……この状況で“サーフィン”という発想が出るのは、才能ですね」
空ではウラヌスがスカートを翻し、下ではサタヌスが瓶を守りながら必死に走る。
街が沈み、空が溶け、世界が甘い終焉へと沈んでいく中――
三人だけが、なぜか本気で楽しそうだった。

先頭を飛ぶのはウラヌス。
髪をなびかせ、チョコの滝をバックに笑う姿は、異世界のポップスターのようだった。
「でもさ〜バナンザって歌うやついなきゃダメじゃん? どうする? ヴィヌス呼ぶ?」
空中で軽く一回転しながら、まるでライブのリハーサルのようなテンション。
世界の終わりを目前に、完全にノリが文化祭モードである。
中間を飛ぶプルトは、真逆の静寂をまとっていた。
両足を揃え、完璧なフォームで次のビルの残骸へ着地。
爆発音が響いても眉ひとつ動かさず、淡々と返す。

「私、歌いませんよ」
背景ではチョコの滝が流れ、
溶けた街灯が光の粒となって流れ落ちる。
静止画なら神々しい。
だが動けば、完全にギャグだった。
最後尾のサタヌスはというと、ほぼ落下しながら絶叫していた。

「歌えよォォォォ!!!」
声が空を割り、カカオの海が共鳴する。
しかし、返ってくるのは冷淡な声。
「絶対いや」
「チッ!!マジでバンド崩壊じゃねぇか!!」
ウラヌスは爆笑しながら飛び移る。
「ヴィヌス来てくれたら歌うよね!!?」

サタヌスは息を切らしつつ叫び返す。
「次はリズム担当募集だな!」
プルトがちらりと視線を向ける。
「……私のナイフでテンポ取ります?」
次の瞬間――ナイフが看板に突き刺さる音が響いた。
まるでスネアドラムのように鋭く。

「おぉぉぉ~~~!!!」
三人の声が重なり、空が一瞬明るくなる。
そのとき、世界のスピーカーがオンになったように空気が震えた。
紫と黒の渦の中心、チョコの波を裂いて現れたのは――
スーツ姿のアンラ・マンユ。
黒いマイクを片手に、金の瞳で笑っている。

「やあ、諸君。ようこそ“カオスのラストライブ”へ」
「この映像はすでに地上波放送中だ」
その声に合わせて、空のマーブル模様が光を放ち、
チョコの渦の中に――ABSロゴが浮かび上がった。
まばたきがリズムになり、溶ける街がステージになる。
ラスト3分、世界はショータイムとして燃え上がる。

竹下通りは、もはや形を保っていなかった。
街全体が静かな粘度を帯び、溶けていく。
ビルがゆっくりと傾き、看板の最後の光が水面のように反射して消えた。
チョコの波に沈みながら、スピーカーからはまだ微かに原宿のポップが流れている。
再生速度が狂ったように伸び、音が歪み、
「Kawaii〜♪」のフレーズが“救いの祈り”のように遠くでこだました。

沈没寸前、最後に残ったのは一つのビル。
その屋上だけが、まだ現実と呼べる場所だった。
プルトはスマホを取り出し、画面をちらりと見た。
「……残り1分」
まるで天気の話をするように淡々と呟く。
紅茶のカップはもう空だ。
代わりに、手元にはスプーン。
名残惜しげに、チョコの滴をすくって口に運ぶ。

隣でサタヌスが瓶を振っていた。
中のチョコはとろとろに溶け、金の粒がちらちらと光っている。
「このチョコ、マジでうまいぞ!!」
「社長やヴィヌスに持って帰る!」
言葉のテンションとは裏腹に、背後ではビルがきしむ音と、泡が弾ける音が重なっていた。
それでも彼の顔は真剣で、瓶を両手で包み込むように抱え。
ひとりの職人みたいに誇らしげだった。

ウラヌスは屋上の手すりに逆立ちしながら笑った。
逆さまの姿勢のまま、髪からチョコの雫を垂らしつつ声を上げる。
「マジ!? 帰ったらチョコフォンデュな!!」
溶け落ちていく街を背景に、その言葉だけが生き生きと響いた。
世界が沈んでも、彼女のテンションは決して沈まない。

そして――最後の音が、完全に途絶える。
通りの地面が静かに崩れ落ち、
“竹下通り”という概念そのものが、音もなく消滅した。
一瞬の無音。

次に目を開けたとき、背景は全て“ABS番組モニター群”に切り替わっていた。
数百の画面が空を覆い、そこに流れているのは――
彼ら自身の映像。
チョコまみれで笑う三人の姿が、リアルタイムで編集されていた。
モニターの向こうから、低く甘い声が響く。

「いやぁ、素晴らしい。“崩壊”をエンタメにできるのは君達ぐらいだよ」
声と同時に、モニターのひとつがズームインする。
アンラがスーツの襟を正し、笑っていた。
その笑みは、演出家のものでも、神のものでもない。
ただ純粋に――面白がっている。

チョコの海に沈みゆく最後の屋上で、三人はまだ息を切らしながら立っていた。
プルトはスマホを閉じ、サタヌスは瓶を掲げ、ウラヌスは空に向かって手を振る。
その瞬間、モニター群の向こうでアンラが拍手した。

「放送終了。お疲れ様、下等生物諸君」
紫と金の光が、画面を塗り潰した。
そして竹下通りの記録は、完全に放送終了となった。
沈黙が降りたあと、ABSモニター群の照明がひとつ、またひとつと落ちていく。
紫の残光が部屋の奥で揺れ、チョコの匂いだけが甘く残った。
サタヌスは瓶を抱えたまま、息を整えながら満足げに笑った。

「いやぁ、マジで楽しかった……また世界崩壊ショーやろうな!」
言い終えた瞬間、背中からウラヌスの手刀が飛ぶ。
「いや世界崩壊を楽しむなッwww」
彼女は腹を抱えて笑いながら、もう次のイタズラの計画を考えている顔だった。
プルトは二人の騒ぎをよそに、スプーンをくるくる回していた。
目の前のアンラ・マンユは、デスクに肘をつきながら全てを眺めている。
その表情はどこか満足げで、同時に退屈そうでもある。
プルトは小さく一礼し、静かに言った。

「……社長、一口いかがです?」
アンラがわずかに目を細める。
差し出されたスプーンの先には、トロリとした黒いチョコレート。
溶けた世界そのもの。
彼にとっては“素材”のはずのそれを、
まさか土産として持ち帰る者がいるとは思っていなかった。

「ふふ……」
笑みが漏れ、金色の瞳が細く光る。
邪神はスプーンを受け取り、ゆっくりと口に運んだ。
甘い。けれど、その甘さは舌ではなく魂に届く。
崩壊の味。生と死の境界が溶けた味。
アンラ・マンユは目を閉じ、わずかに口元を歪めた。

「……魂の溶けた味だ。どんな甘味にも勝る」
そう呟いたときには、もう三人の姿はなかった。
残っていたのは、テーブルの上に転がる空の瓶と、どこまでも甘い焦げた匂いだけ。

彼は背後の窓に視線を向ける。
遠く、なかよしハイツの方向に、三つの影が走り去っていくのが見えた。
サタヌスが瓶を掲げ、ウラヌスがそれを奪い。
プルトが紅茶のカップを掲げて歩く。

アンラ・マンユは首を軽く傾げ、
まるでお気に入りのコメディ番組の続きを待つように微笑んだ。
「……まったく、壊し方のセンスが良すぎる」
邪神の笑いが静かに室内に響く。
おちゃめに、そして邪悪に。

帰還後――なかよしハイツ。
夕暮れの食卓は、いつものように無秩序と騒がしさで満たされていた。

テーブルの中央には、「世界が溶けたチョコ」を詰めた瓶が鎮座している。
サタヌスが得意げに両腕を組む。
「見ろよコレ!竹下通りごと持って帰ってきたんだぜ!」
彼にしてみれば、世界崩壊をサバイバルキャンプの延長ぐらいにしか考えていない。

ヴィヌスは目を剥いた。
「はぁ!? あの変な文字Tシャツのガキが……イメチェンしてるわ!」
彼女の視線はサタヌスのハート付きパーカーとチェックパンツに釘付け。
「ちょっと待って、アンタ何その“暴カワ”……!?」
「原宿が俺に目覚めをくれたんだよ」
「二度とそんなセリフ言わないで。」
一方その隣では、プルトが相変わらず無表情で紅茶を啜っている。
メルクリウスが顎に手を当て、意味深に微笑んだ。
「……彼女に着せてもらったね?」
その言葉に、サタヌスの耳が真っ赤になる。
「な、なんで知ってんだよ!」
「だって襟の位置が整いすぎてる。自分じゃ無理だ」
「観察眼キモい!!」

ウラヌスはその横で、ぬいぐるみを胸に抱えていた。
「ねぇ見て!これ、勇者ちゃん♡」
手渡された黒い“狂犬わんこぬい”を見て、ガイウスは引き攣った笑みを浮かべた。
「え? ……その犬、オレ?」
「うん♡ 勇者ちゃんモデル!“ガルル”って言うと『がるる♡』って返すよ!」
「……やめろ、魂削られる……」
そしてその夜。
メルクリウスが軽やかに提案する。
「このチョコ、ディップソースで終わらせるのは勿体ないね」
「僕、ちょっと“再構築”してみたい」

魔法陣がテーブルに浮かぶ。
世界を一度飲み込んだチョコが、再び甘美な香りを放ち始めた。
液体が固まり、温度が上がり、光が走る。
そこに現れたのは“世界崩壊ショコラ・パフェ”。

層ごとに流れる黒と金のマーブル。
中には小さなビル型のチョコチップ、屋上には「ABS」のロゴ入りプレート。
サタヌスが目を輝かせる。
「これ食えるの!? 俺のノーベル賞、今度は料理部門だな!」
ウラヌスはフォークを突き刺しながら笑う。
「ちょっとォ、これ崩壊の味すんだけど!?www」
プルトは一口食べて、静かに頷いた。
「……確かに、世界を救う甘さです」
チョコの香りと笑い声が混ざる中、
なかよしハイツの夜は、甘く、そして不穏に更けていった。