怖いぞ。なかよしハイツ
子供が遊ぶには大きすぎるケンケンパの輪が、団地の前に真っ直ぐ続いている。
三つ目のウサギがマスコットのコンビニ「ラビットマート」も。
無表情な店員が淡々と触手でカップ麺を並べているのが見える。
一見して平和、でも何処かが決定的に歪んでいる──それがアバドン南エリアの常識。
そして、今日も“その場所”に足を踏み入れてしまう一人の青年がいた。
夕暮れのアバドン南エリア──なかよしハイツ
きっかけは、一通の注文だった。 「中央エリア限定・光るネコ耳つきスライムポシェット」
──ご注文者様:ウラヌス
何気ない配送業務。 だがこの配達、配達員タチバナくんにとって
“生還できたら奇跡”のコースだった。
「ええと……なかよしハイツ……? ほんとに“宅配可”のエリアなんだよなここ」
団地の外観は、どこにでもある普通の集合住宅。
だけど、掲示板に貼られた注意書きが目に留まる。
「悪夢の回収は各自で」
(大丈夫、伝票には“部屋番号なし”だけど、きっとどこかに表札が──)
だが、これが彼の精神HPを削る地獄の始まりだった──。
「ピンポーン」
押したはずのチャイム音がやけに長く、尾を引いていた。
応答はすぐだった。
現れたのは──真っ白な軍服、紫のファー。
帽子に金のライン──“完璧な軍人”だった。
笑顔のようで、笑っていない。
目だけがギラギラと、喉元を測っている。
「……あらぁ?」
銀髪、金の瞳、整った顔立ちの美形軍人。
だがその佇まいは“私服”とは明らかに異質。
ここ、戦場じゃないよな?とタチバナくんの脳が警鐘を鳴らす。
「ウラヌス様でいらっしゃいますか?」
「ウラヌスなら向かいですよ……私はカリスト。人違いです」
礼儀正しく、指でゆっくりと向かいの部屋を指し示すその仕草。
服装も目も明らかに異様だが、なぜか彼の所作は丁寧で、余計に恐ろしかった。
……尚、その間。彼の目は一切揺れなかった。
「ありがとうございます…失礼し──」
「可愛い」
小声だった。
だが、はっきり聞こえた。
「え、男なんですが…?」
次の瞬間、背後の部屋に白い冷気が流れ込んでくる。
室内の家具は凍り付き、テーブルには氷結したティーカップ──
「お茶、淹れましょうか?」
その笑顔のまま、目だけがギラついていた。
──その瞬間、
タチバナくんの全細胞が告げていた。
この人の淹れるお茶は飲んだら死ぬ、と。
背後の部屋をチラ見すれば、家具が凍り付いている。
しかも、湯気の代わりに白い霜気が漂っていた。
(この人の住んでる場所、冷気で死んでる)
ドアが閉まりかける寸前、
カリストがぽつりと呟いた。
「急いでいらしたのね。残念……」
その直後──カンッ!!という金属音が、玄関奥から鳴り響いた。
(今の音、絶対にカップじゃない)
あの不気味な軍人──カリストは、どうやら嘘は言っていなかったらしい。
タチバナは無事、ウラヌスの部屋へとたどり着くことができた。
鍵はかかっておらず、ドアノブを軽くひねると、パタンと抵抗なく開いた。
部屋の中からは、ポリポリというスナック音と。
どこかで聞いたことのあるアイドルソングのサビがうっすらと漏れてくる。
そっとドアを押し開けたタチバナが目にしたのは──
「生活感ってこういうことか…?」
散らかった床。
アクリルスタンドやフィギュア、小型のゲーム機が転がり、
何故かラビットマートのポテチ袋が、半分食べられた状態で開いたまま置かれている。
パッケージは紫地に蛍光緑の文字が躍っていたが。
肝心の味表示は「¤¢∇◯うす∮」と文字化けしていて読めない。
袋の角には「Sata’s Pick!」のシールが貼ってある──多分、誰かが買って置いていったのだろう。
その横には、どこかで見たような、だが微妙に似ていない“勇者”グッズ。
部屋の奥ではアイドルアニメが一時停止されたまま、キャラがキメ顔で敬礼している。
「えーと……ウラヌス様は……」
その瞬間。
「きゃは☆」
天井から──声がした。
咄嗟に顔を上げたタチバナが見たものは、逆さに張り付く少女。
銀髪ツインテールに、ネオンカラーのルームウェア。
天井に両手両足でしがみついたその姿は、もはや虫か妖怪の域だった。
「はーい!あたしが注文したやつね~!」
「ッ……えっと、ネコ耳スライムポシェットです……」
恐る恐る、伝票と商品を差し出す。
少女──ウラヌスは、蜘蛛のようにすべり降りてきて、クルクルとポシェットを回しながら笑う。
「ありがとっ☆」
笑顔、声、テンション──どれを取ってもアイドル的。
だがその無邪気さが、何よりも恐ろしい。
「ねーねー、喉仏ってなに? カリストがなんか言ってた~」
(また喉仏……このハイツ、俺の喉仏狙いすぎじゃない?)
まただ。さっきの軍人も、明らかに“そこ”を見ていた。
そして今、この少女も──首元をチラチラと見ながら、妙に興味津々の顔をしている。
「……ご注文ありがとうございました……では、これで──」
「また来てね~!次は血色の良いポーチとか頼むかも☆」
明るく手を振るウラヌス。
彼女の笑顔が、
この日、タチバナが見た中で最も恐ろしいものだった。
(このハイツ、ぜったい“普通の人間”の住む場所じゃねぇ……)
ウラヌス邸をなんとか出て、タチバナは一つ息をつく。
「……よし、帰ろう」
だが──その瞬間。 視界の隅に何かが映った。
廊下の片隅。 そこに、しゃがみこんでナメクジを並べている神官がいた。
水色の髪を丁寧に三つ編みにまとめ、メガネ越しに知的な雰囲気を漂わせた青年。
その額の少し上には、白く光る神官用のヘアバンド。
衣装は青い長衣に白ズボンという、清潔感と神秘性を兼ね備えた出で立ち。
──だが、その神官は今まさに、 ナメクジを、1匹ずつ、間隔を測りながら並べていた。
しかも、丁寧に。
一切声は発さず、ただ静かに距離をとる。
(……見なかったことにしよう)
タチバナは全力で気配を消しながら、そっと神官から遠ざかっていった。
この団地では、もう驚いてはいけない気がしてきた──。
気配を殺しながら踊り場へ入ったその瞬間──
──そこにいた。
赤い肌、2メートルを超える巨体。 静かに胡座をかいて座禅を組む鬼の男。
目は閉じている。 だが、その呼吸音だけで空間が揺れている気がした。
(え、石像……いや、動いた!?生きてる!?)
(通っていいのか……何か試される系……?)
彼の名は、マルス。 一言も発さず、ただ静かに座っているだけ。
だがその空気──
“ここで音を立てたら死ぬ”
そう本能が告げていた。
タチバナの喉がごくりと鳴る。だがその音すらも許されない気がして、呼吸を浅くする。
汗ひとすじ。心拍数だけが加速していく。
一歩、足を前に出すか迷った末──
(無理無理無理無理無理)
そっと、ゆっくりとUターン。
足音を殺しながら、タチバナはエレベーターへと逃げていった。
補足:実際のマルスは、雑音や気配に寛容です。
瞑想中のノイズは「環境の一部」として歓迎されます。
(……今度こそ文明の利器にすがらせてくれ……!)
廊下を戻り、エレベーターホールへと駆け込んだタチバナ。 だがそこで、何かが動いた。
カン、と靴音が鳴るたびに、 暗がりの一角で“何か”がうごめいた。
黒い物体。 地べたにうずくまるシルエット。 中型犬よりやや小さい──いや、大きめの猫……?
(猫?……いや、これ……違う)
“それ”が動いた。 フードの隙間から、ギラリと鋭い片目が覗く。
──人間だった。 しかも推定170台の、細身の人間。
だが、その瞳は猫のように縦に裂けていた。
まるで刃物のように鋭く、濁りも、揺れもない。
次の瞬間、エレベーターが到着する音。 ガチャリ。
そのまま、無言。
(ダメだ、この猫目、絶対に人を刺したことある)
(むしろ……ナイフが本体で、人型が鞘まである)
ゆっくりと、タチバナは横に立つボタンを押すふりをしながら距離を取った。
エレベーターの中には誰もいない。
だがその空間すら、すでに“プルトの気配”で染まっていた気がした。
(……頼むから、今だけ猫であってくれ)
補足:プルトは猫ではありませんが、猫と言ったほうが納得できます。
エレベーターがゆっくりと下降を始める。 沈黙だけが、機械の振動音と共に重く響いていた。
ドアが閉まる直前──
エレベーター内のミラーに、一瞬だけ“何か”が映った。
黒いローブ、赤の瞳──プルト。
……いや違う。気のせいだ。たぶん。
(帰れる……! 地上に着けば、後はいつもの街! セブンイレブンもある!)
(あの団地、きっとホラー系シェアハウスだ……!)
表示が「1」を示す。ドアがゆっくり開く。
玄関の自動ドアが見える。 あと数歩。あとドアが開くだけ。
(帰るぞ俺は! 冷静に、冷静に──)
不意に、横のインターホンから電子音が鳴った。
ビクリと肩を跳ねさせながら、タチバナは視線を向ける。
──そこに、いた。
190cm程の青年。満面の笑み。
そして、目が虹色にきらめいていた。
「お~い。あ・そ・ぼ〜♡」
明るく、軽やかに。だがその声には妙な重みがあった。
虹色の目── 言葉の響きだけ聞けば、宝石のように美しい印象を受けるだろう。
だがタチバナを見つめるその瞳は、夕闇の中で冷たく光り、まるでサーモグラフィーのようだった。
構造色の瞳が、じわじわと色を変えながら、こちらの“中身”を探ってくる。
赤、橙、緑、青、紫──色が変わるたびに、視線の圧が増していく。
体が硬直する。 まるで視線だけで神経を支配されているような錯覚。
ガイウスは変わらぬ笑顔のまま、軽く首をかしげて。
「……あれ、坊っちゃんじゃない。配達員さんかぁ」
「ッス! 配達完了しましたッ!! 失礼しましたッ!!!」
玄関の自動ドアを突き抜け、全力で外へ。
背後から、ガイウスの声が追いかけてくる。
「また来てね~~~!」
配達員タチバナのメモ
《なかよしハイツ 配達ルート注意事項》
カリスト邸に間違って行かない(死)
マルスの前は通れるが通れない(精神)
エレベーター前の猫は“人”かもしれない(刀)
虹の目に睨まれたら、もう…どうしようもない(概念)
みんな優しい。ただし“人間の感性”で測ってはいけない。
なかよしハイツから脱出してしばらく。
タチバナくんは、ある噂を耳にする。
“あの虹の目の青年──ガイウスには、双子の弟がいるらしい”
しかもその弟は “出会うと死ぬ”レベルでヤバいという。
(え……あのガイウスさんよりヤバいのがいるの?)
そしてある日。
いつものように手渡された配送伝票。
「ユピテルさんの……お届け先、なかよしハイツ333号室」
……333号室。
「あの、また行くんですか俺……」
next delivery:JUPITER
To Be Continued…