秋葉原編-芸夢大祭 - 2/4

「芸夢様は怒らない。ミスしたら“ドンマイ”って言ってくれる。」
秋葉原の夜に響くその言葉は、まるで子守唄のように優しかった。
けれど、それが神託と呼ばれるようになったのは、
皮肉にも世界が一度滅びたあとだった。

神格:芸夢様(げいむさま)
分類:電子系神/遊戯神/再起神

遥か昔――地上に降り立った一台のファミリーコンピュータ。
赤と白のボディを持つその機体は、
人々に“遊び”の意味を、そして“失敗の美しさ”を教えた。
どんなミスをしても「コンティニュー」を選べば再び立ち上がれる。
その哲学は時を越え、崩壊後の人々の間に根付いていった。
幾千のプレイヤーが挑戦し、幾万のゲームがリセットされたのち――
ついに秋葉原の民は悟った。
「ゲームこそが不朽の神である」と。

神社の中心、磨き上げられたガラスケースの中に、
年季の入った赤白のファミコン本体が鎮座している。
隣にはカセットが一本――初代『スーパーマ◯オブラザーズ』。
差し込み口には今も微かな通電音があり、
コントローラーが二本、参拝者の前に置かれている。
巫女が静かに告げる。
「……コントローラーを添えて、二礼、二拍、Aボタン。」
「これが正式な参拝作法です。」

挑戦者たちは列をなし、壊れかけた電飾の下で順番を待っていた。
ファミコンの電源は常に入っており、参拝者がひとりボタンを押すたび、
「ピロリッ」「チャリーン」「ジャンプ音」「ミス音」――
微妙に違う効果音が鳴る。
だが誰も笑わない。全員、真剣だ。
この街では、それが祈りの音だから。

サタヌスが、やや引き気味の声で囁く。
「……いや、これマジで拝んでんのファミコンだよな?」
横でウラヌスが肩を震わせながら笑いを堪える。
「陰キャ勇者がアホ毛垂らしながらボタン押すの、爆笑しそうなんだけどwww」
メーデンが小声で慌てて制止する。
「しーっ! 礼節を欠いたら失格扱いになるって……!」
レイスは煙草をくわえたまま、神棚の光景を見上げて呟いた。
「シュールすぎて逆に神秘的だな……」
巫女が軽く頷く。

「──これでよし。」
「芸夢様も、きっと皆様の挑戦を見届けてくださるでしょう。」
一同が頭を下げる中、悠馬はわずかに俯いた。
彼のアホ毛が静かにしおれている。
「……いやほんとにファミコンに頭下げてんの、魔王として正気保てるかな……」
その呟きに、巫女が微笑んだ。
「神の前では、皆ただのプレイヤーです。
壊すことも、救うことも“スタートボタン”を押したその指次第でございます。」

ファミコンの画面が、一瞬だけ明滅した。
誰かが押したのだ。
Aボタンか、スタートか――もうわからない。
でも確かに、そこには“意思”が宿っていた。

芸夢様のご神託:
「たとえ何度ミスをしても──再び立ち上がれ。」
「コンティニューの心を、忘れるな。」
「人生は1UPでできている。」
悠馬はそっとコントローラーを見下ろした。
その手は震えていたが、
その震えはもう“恐怖”ではなかった。
「……僕は、挑む。今度は、遊ぶために。」
静かに押されたAボタンの音が、神域に吸い込まれていった。

“ピロリッ”――。
まるで神が笑ったような、優しい起動音だった。

年に一度、秋葉原の空に“8bitの鐘”が鳴り響く日がある。
それが――「芸夢大祭(げいむたいさい)」。
この日だけは、神棚の封印が解かれ、
芸夢様――すなわちファミコン本体が“起動”される。
ただひとつの目的のために。人が、神を遊ぶために。

「芸夢様の試練」――それは数百年続く、秋葉原最大の宗教的行事。
参加者は“名作ソフト”を選び、ノーミスでの完全クリアを目指す。
途中で一度でもミスすれば、即リセット。
ただし、リセットを押したその指は“神聖な指”として崇められる。
伝説ではこう語られている。

「芸夢大明神にてノーミスでクリアした者は──
どんな不祥事を起こしても、芸能界に復帰できる。」
一見ただの都市伝説。
しかし実際に、“復帰”した地下アイドルがいたのだ。
そして彼女の名が、今も秋葉原の電光掲示板に残る。

鳥居前、参拝者のざわめきが静まり返る。
巫女の瞳が、コントローラーの赤ランプを反射して淡く光る。
「私は前から思っていたのです」
「ノーミスクリアは神業なのになぜ過小評価されるのか?」
「全てが過ぎ去った世界で、ようやく“神の試練”として挑むことができるようになったのです」
「芸夢様はお怒りになりません。
たとえ死のうと、リセットしようと、芸夢様は……“遊ばれること”が喜びなのです」
「さぁ、挑みなさい。神を──遊び倒せ!!」

照明が落ちる。
群衆の歓声が一瞬だけ静まり、そして爆発する。
ステージ中央に立つのは、
ショッキングピンク×紫のツートーンヘアを揺らす地下アイドル――めるる・N(エヌ)。
ステージ衣装のまま、レオタード風サイバー装備で堂々と神前に立つ。
背後にはファンたちが手を合わせ「推しの祈り」を捧げていた。

「よろしくお願いしますっ!」
「実は私、グラディウスガチ勢なんすよ」
その瞬間、巫女のロボ耳が小さく反応音を鳴らす。
選ばれたソフト――『グラディウス』。
一部の古参信者からざわめきが起こる。

「まさか、コナミ聖典を……!」
「難易度、ノーミスで……挑むつもりか……!?」
めるるは微笑んだ。
その笑みは、アイドルではなく戦士のものだった。
「コナミコマンド? 甘えです」
ファンの悲鳴にも似た歓声が会場を揺らす。
「うおおおお!!めるる神すぎる!!!」
「今日から俺もビックバイパーになる!!!」
意味は誰もわからない。

画面が点滅し、懐かしい8bitサウンドがホールに響く。
「テッテッテッテッ……♪」
めるるの指が迷いなく動く。
手元ブレなし。ステージの照明がリズムに合わせて点滅する。
五面までは完全に安定圏。
観客の中には、感動で泣いている者までいた。
「実は……私、シューティングにハマったんですけど」
「きっかけは“ダライアス”。アーケードでやってたんです」
巫女の瞳が僅かに光る。

「……ほう」
「でも、今さら気づいたんですよ」
「“家でやれば、もっと特訓できるのでは”って」
会場中がざわつく。
「いや、気づくの遅くね!?」
「でもわかる!」
「それで、中古屋で“グラディウス”を見つけまして」
「気づいたらもう、五面まではパターン入っちゃったんですよね」
ファンが崇拝するように叫ぶ。

「ガチ勢!!!」
「推しがSTG勢とか胸熱すぎ!」
画面の中、ビックバイパーが光の弾幕を避ける。
観客の誰も息をしていない。
巫女はそっと目を閉じ、祈るように手を組んだ。
「……神を、遊ぶとは。なんと尊い行いでしょう。」
めるるの唇が震える。
だがその声は、ただのアイドルではなく、“挑戦者”としての声だった。
「芸夢様……お願いします。ノーミスで……通らせてください。」
Aボタンを押す音が、静かに響く。
そして、ファミコンが小さく唸りを上げた――。
神が、彼女の挑戦を受け入れた音だった。

空気が変わったのは、ほんの一瞬のことだった。
五面をノーミスで駆け抜けたその瞬間、
めるる・Nはふっと息を吐き、コントローラーを握り直した。
「……すいません。六面は、まだパターン入ってないんで──」
「──ここから、無言になります。」
会場の熱狂が、一拍で静寂に変わる。
歓声が吸い込まれ、音が消えた。

「めるる神!」「チョン避け上手ぇぇ!!」と叫んでいたファンたちは、
まるで一斉にミュートボタンを押されたかのように黙り込んだ。
横断幕を持つ手が小刻みに震え、推しうちわを胸に押し当て、祈るように握りしめる。
誰からともなく漏れる声。
「……ビックバイパー、生き延びてくれ……」
ブラウン管の映像が暗転し、宇宙の闇が広がる。
画面に映るのは、ただ一つ――ビックバイパーの微かな残光。
その小さな光が、まるで祭壇の蝋燭のように、会場を支配した。

巫女ロボの瞳が、静かに光を帯びる。
音もなく、手を組み、ただ見守る。
ステージ上ではBGMの緊張が極限まで張り詰め、
客席では、観客たちの呼吸音がそのままBGMの一部になっていた。

ゲーム画面と現実の境界が溶ける。
そこにあるのは、もはや“プレイ”ではない。
祈りそのものだった。

弾幕の雨をくぐり抜け、敵を焼き払い、光の中へ突き進む。
六面――未知の領域。
観客の手が合わせられ、ステージはもはや教会、ブラウン管は神前、
ファミコンは祭器だった。
“アイドルの挑戦”が、“祈祷の場”へと変わる。
STGの一ステージが、宗教的な空気を纏っていく。

しかし、運命は非情だった。
ビックバイパーの光が一瞬揺れたその時、
敵弾が――視界の端を掠める。
破片が散り、ブラウン管の中で小さな星々が弾ける。

GAME OVER

めるる・Nの喉から、悲鳴にも似た叫びが漏れた。
「ビックバイパーがぁぁあああッ!!」
コントローラーを握ったまま、ステージに崩れ落ちる。
客席の誰かが「うそだろ……」と呟き、次の瞬間――号泣の渦が広がった。
横断幕が落ち、うちわが涙に濡れる。
誰も笑わなかった。誰も拍手しなかった。
それは、敗北ではなく――供養だった。
巫女が静かに前に出る。
その表情は、哀しみでも同情でもない。
ただ、深い敬意に満ちていた。

「……素晴らしい闘志でした。」
「“ノーミス”ではありませんでしたが、
その覚悟は、芸夢様もご覧になったはずです。」
めるるは、顔を上げた。
頬には涙の跡。
だがその瞳は、誰よりもまっすぐで――燃えていた。
「マジで悔しいっ……次は絶対、六面クリアします……!」
巫女がうなずく。

「その心が“コンティニュー”です。」
ブラウン管の中、
黒く沈んだ宇宙の一点に――小さな光が点いた。
それは再挑戦を告げる起動音、芸夢様は確かに微笑んでいた。

ファミコンのブラウン管には、まだ「GAME OVER」の文字が揺れていた。
観客席にはすすり泣く声、そして誰ともなく起こる拍手。
その拍手は“称賛”というよりも――弔いに近かった。
めるる・Nは深く一礼し、涙を袖でぬぐう。
顔を上げたとき、アイドルの微笑みではなく、戦士の誇りを取り戻した顔をしていた。

「皆さんのプレイを見届けない気持ちでいっぱいですがっ……」
「ライブ前1時間なので、ここで失礼しますっ!」
一瞬だけ沈黙。
そして、どよめきと拍手。
「皆さんの健闘、お祈りしています!」
その言葉は、ステージから去るアイドルのものではなかった。
まるで――戦場から撤退する兵士の、最後の激励のようだった。

巫女が小さく頷き、
ファミコンの電源ランプがまたひとつ点滅する。
「……神は、挑み続ける者を愛します。」
めるるはその言葉に背を押されるように、ステージを降りていった。
その背中には、ライトではなく信仰の光が当たっていた。
しばらくして、会場の照明が落ち、次の挑戦者の名前が読み上げられる。
だがイザナギだけは、舞台の出口の方を見つめていた。
去りゆく彼女の背中を、少しだけ誇らしげに。
そして、煙草を咥え直しながらぼそりと呟く。

「……あのアイドル。ライブハウスで“グラディウスうめぇ”って言われんだろうな。」
レイスが苦笑いし、ウラヌスが吹き出す。
メーデンは小さく微笑んで「それ、多分もう称号だよ」と呟いた。
ファミコンのBGMが、再び鳴り始める。
画面の奥では、新たな光――新たなビックバイパーが、静かに起動していた。
めるるの戦いは終わらない。
なぜなら、芸夢様の前では誰もが“コンティニュー”の途中だから。