荒れた街道を、ガイウスはひたすら歩いていた。
荷物も重い。剣も重い。勇者の看板だけが、なぜか一番重かった。
聖痕の力を引き出しきれていない今、彼はまだ「ただの人間」にすぎない。
筋肉隆々な勇者でもなければ、すごい魔法も使えない。
律儀に、黙々と、靴の裏を減らして“徒歩”でアルルカンを目指しているのだった。
靴底はもう何度目か分からない石につまずき、泥と埃でドロドロになっている。
聖痕の力も、今の自分には“宝の持ち腐れ”だった。
旅の始まりはそれでも気力だけで歩けた。
けれど三日目にもなれば、荷物の重さがじわじわと心にまで染み込んでくる。
一人旅は孤独だ。分担相手もいなければ、愚痴をこぼす相手もいない。
喉が乾くたび、次の村まであと何キロか数えてしまう。
「……この先、馬でも乗れればなぁ」
ぼそりとこぼした声は、山道の風に吸い込まれて消えていく。
そんな時だった。背後から車輪の音と賑やかな笑い声が近づいてくる。
振り返れば、数台のキャラバンが砂煙をあげて進んでくる。
「兄さん、アルルカンに行くのかい?」
先頭の馬車から、キャラバンの少年が声をかけてくる。
「あぁ、勇者やることになってね」
ガイウスが照れくさそうに返すと、少年は目を丸くして仲間に合図する。
「勇者!これはありがたい、勇者を見た商人は必ず成功するって言い伝えがあるんだ!さっ、乗りな!」
勝手に“ゲン担ぎ”にされているのが何とも言えず。
「いや、そういうの別に……」と、断ろうとしたが、正直もう足が限界だ。
素直にお礼を言って馬車の荷台に腰掛けると、ふっと全身の力が抜けた。
馬車はガタゴトとアルルカンへの道を進む。
車輪の振動が、心地よい眠気を誘う。
キャラバンの子が隣で自慢げに話し出す。
「最近は魔導文明が発展してさ、馬車でもものすごいスピードが出るんだよ。
ほら見て、この“魔導エンジン”! 普通の馬よりずっと速いんだ」
ガイウスは半分夢うつつで、少年の熱弁を聞き流していた。
だけど、久しぶりに「誰かに気軽に話しかけられた」ことが、どこか嬉しかった。
こうして――勇者ガイウスを乗せたキャラバンは。
歓楽と混沌の都・アルルカンへと、ゆっくり、けれど確実に近づいていくのだった。
魔界最下層――深月城の長い階段を、低い重厚な足音が響いていた。
城の主ではない。だが、この場に集う六人の中で一番「マトモ(当社比)」とされるマルスだ。
広い廊下を進みながら、背後の部下に淡々と指示を出していく。
「ユピテル。会議室へ向かえ。勇者が、アルルカンに間もなく到着する」
部下の一人が廊下の奥で何やら騒がしい声を聞きつける。
案の定、金髪の青年が部屋の床に這いつくばっていた。
両頬に黒い雷マーク、素足に短パン、手には“展覧会”用と称する奇妙な箱を抱えている。
「えっ!?ユピテルさン、今剥製の選定してたンだけど!?」
ユピテルの一人称は時折「ユピテルさン」になる。
なぜそうなのか、六将の誰も尋ねようとは思わない。
理由を聞く勇気のある者は、誰一人いなかった。
「それは明日も出来るだろう。今日は会議だ」
マルスは眉ひとつ動かさず、首根っこをつかむようにユピテルを引き起こす。
「いやぁぁ~。展覧会は明日なんだああああ!俺いかねええええ」
子供のような声で駄々をこねるユピテル。
だがマルスの太い腕には到底抗えず、ユピテルは無様にずるずると引きずられていく。
「カリストぉ~!ユピテルさン、展覧会出られないよおおお~~」
すでに集まりつつある他の魔王軍幹部たちは、目線をそらして全員スルーしていた。
“会議の時間”――それは、魔界最強の六人ですらできれば逃げたい現実である。
深月城・会議室。
重厚な扉の向こうには、すでに魔王軍の六将が揃い踏み――かと思いきや。
各自「当社比の真面目」モードで、それぞれの席に陣取っていた。
会議卓の端、ネプトゥヌスは涼しげな顔で、小さな貝殻の詰まったガラス瓶を抱えている。
耳に当て、波の音にご満悦。
「やはり会議中は海の音が落ち着きますわ……」と完全に現実逃避中。
その隣、ウラヌスは派手なネイルシールを器用に貼り付けていた。
「見て見て、雑巾。このキラキラ、エモくない?」
前髪で片目を隠したまま、一言も喋らないプルトに執拗にアピールしている。
カリストはというと、唯一「真面目」らしき姿勢で書類を整理していた。
ただし、目線の半分はユピテルのほうに流れている。
(書類にはユピテルのサインをなぜか模写していた。完全に病気)
最後に、ずるずると引きずられてきたユピテル。
マルスに首根っこを押さえられながら、むくれて大声を上げる。
「まだ会議1分前じゃねぇか!!!」
「会議は10分前に集まるのが決まりだ、私は知らんぞ」
マルスは静かに、だが絶対に譲らない態度で返す。
席に着いた途端、ネプトゥヌスの貝殻から「ザザァン……」と波音が会議室に響く。
ウラヌスは「爪キラッキラじゃん!会議ウケ間違いなし!」と謎にテンションが高い。
プルトは完全無言。カリストはちらちらとユピテルを盗み見て微笑んでいる。
こうして、魔王軍幹部会議。
「全員“当社比”でマジメ(?)に座っている」体裁だけは、今日も無事に守られていた。
「で。今日の議題は何!?俺マジで明日の展覧会に半生捧げてるからね!!!」
ユピテルは机の上でチェスの駒をカチカチと弾きながら、不満そうに叫んだ。
その指先は、誰の手元から奪ったのか分からない黒いクイーンの駒を弄んでいる。
マルスは無表情で、分厚い紙地図をテーブル中央に広げる。
「各国の情勢についてだ。勇者が出たということは、世界が動くということだ。」
重々しい声が響く中、会議室には地図と資料が次々と並べられていく。
デリンクォーラ帝国――広大な国土と圧倒的な軍事力を誇るスラヴ圏最大の国家。
そして、アルルカン都市連合――魔都と名高い、フランス圏の享楽都市群。
どちらも魔王軍にとって“脅威”の二大勢力として、話題に上ることが多い。
「そうだなァ~~国土だけで見れば、デリンクォーラ帝国が一番“落とす価値”がある」
「でもよ……本当に怖いのはアルキード王国だ。
あの国、どんだけ没落しようが“勇者”だけは絶対に送り出す。滅びてもまた湧いてくる」
場の空気が少しだけ張り詰める。
「俺が嫌いなのは、しぶとくて、死んだふりしてでも牙を剥いてくるヤツだ」
「帝国は潰せば終わりだが、アルキードは……火種が絶えねぇ」
チェス盤の上で黒いクイーンがコトリと音を立てる。
その音は静かな会議室に、妙な余韻を残した。
ユピテルはふっとチェス盤に手を伸ばすと、次々と駒を並べていく。
魔王軍幹部たちが半ば呆れ気味に見守る中。
彼の指先が器用に白と黒の駒を配置していく。
「さて。今日はお勉強会だ。これが各国、そして……これが俺たち“魔王軍”だ」
まず、盤上の中央に小さな白いポーンを1つ置く。
「アルキード王国は……ポーン。俺はな、ポーンが一番嫌いだ。
弱いフリして、何も持たないフリして、本当は全部かっさらってくる。
ポーンは端っこまで進めば、好きな駒になれる。つまり“勇者”ってやつだ。」
そう言いながら、指でポーンを端から端まで滑らせ。
盤上の“クイーン”の列に変える仕草を見せる。
「で、デリンクォーラ帝国はルーク。でかくて強い。
正面から動けば一番脅威だが、融通が効かねぇ。線の上しか走れねぇ“でけぇ犬”だ」
次にビショップをとりあげる。
「フーロン皇国はビショップかな。
盤面を斜めに突っ切る、時には何でもアリの奇策持ち。
皇帝が一声かけりゃ全員まとまる。マジで読めねぇ」
さらに、騎士のナイトを並べる。
「アルルカン都市連合はナイト、バラバラに跳ね回る。
面白いけど、統制は効かない。イレギュラーな個人(クレイジーなやつ)は怖いが。
国全体は分裂気味。“祭りの後”に片付けりゃいい」
最後に自分たち“魔王軍”の駒として、黒いクイーンを指でトントンと叩く。
「そして、こっちが俺――クイーンだな。
何だってやれる、どこにでも飛べる。
でもな、ポーンが一番しぶとい。
“最弱”が“最強”に化ける、それが一番嫌なんだよ」
幹部たちがそれぞれ無言で駒を眺める中。
ユピテルは気まぐれにポーンをつまみ上げて笑う。
「だから俺は、ポーン(=アルキード)が嫌いだ。
“油断できねぇ”ってのは、そういうことさ」
ユピテルは黒いクイーンをくるくると回しながら、他の駒もパチンと指先で並べていく。
そして、前髪で顔を半分隠したまま静かに座るプルト。
盤上のポーンをじっと見つめている。
「……ポーン嫌い、根深いですねユピテル」
低い声でプルトが呟く。
「私がチェスでアンパッサンを何度もやったの、根に持っていますね?」
その瞬間、ユピテルが目を細めて睨む。
「おまえな……たまにしか喋らねぇくせに、一番うぜぇわ」
ウラヌスが大声で爆笑。
「あのときのユッピー、マジでいい顔してたよね~!くやしくて半泣きじゃん!」
プルトは無表情のまま、ポーンを指で弾いてみせる。
「アンパッサンはルールですので……。」
会議がほぼ終わりかけた空気の中、ふとネプトゥヌスが指を立てて聞いた。
「ところで……聖教の国、アンスロポス連合は駒でいうと何ですの?
やっぱり司祭様ですから、ビショップでしょうか?」
ネプトゥヌスの問いかけに、ユピテルは黙って盤上のキングの駒を手に取る。
そのてっぺんには、小さな十字架の意匠――宗教国家の象徴が静かに光っていた。
「アンスロポス連合、な」
ユピテルはその十字架を指先で“コツ、コツ”と軽く弾く。会議室に小さく乾いた音が響く。
「駒でいえば……キングだ。アイツら、一度も自分から動いたことがねぇ。
でもな、この十字架みたいに盤の端っこから、大陸全体に“聖教”の根っこを伸ばしてやがる」
ユピテルは駒をくるりと回し、もう一度“コツ、コツ”と指で弾いた。
「こいつが倒れたら、人間どもの“ゲーム”も終わりだ。
だからって、じっとしてるだけじゃ滑稽なもんさ」
小さな十字架が微かに揺れるたび、盤面の空気がピンと張り詰めるようだった。
動かぬことで、全てを守る「黒の王」
その駒が倒れた時、世界がどうなるのだろうか?
会議が終わりの空気になった時。
ユピテルは再びチェス盤の上を見下ろして言った。
「気をつけな?この危険度ランクは、“脅威じゃねぇから無視していい”って意味じゃねぇからな。」
彼は盤上に並ぶ駒――各国の象徴を指で弾いていく。
「丙(ひのえ)とは違う。ここの駒共は、全部ちゃんと“盤面”に立ってる。
勇者は、どこからでも出てくる。油断してりゃ“最弱”が一番ヤバくなる。
……ま、それが面倒で面白いんだけどな。」
そう言い残し、ユピテルは「じゃ、俺展覧会在るから」とひらりと手を振って会議室を出ていった。
残された盤上には、さっきまで熱弁に使われた駒がいくつか倒れて転がっている。
会議室の片隅、盤面の外で転がるチェスの駒――それは白い“キング”、王の駒だった。
幹部たちがぞろぞろと席を立つ中。
カリストだけが席に残り、そっとその駒に目をやる。
誰にも見向きもされず、盤外に落ちたキング。
白。先に進むことも出来たのに、それを選ばず落ちた「王」
その小さな彫像を拾い上げ、カリストは静かに目を細めた。
外を拒み、孤独に耐え、最後は盤面にさえ立てず滅んだ――かつての国、丙。
かつて自分が仕え、そして守り切れなかった祖国の象徴。
あの国は勇者も、英雄も外に出せず、ただ静かに、声もなく消えた。
カリストは指先でキングを転がし、誰にも聞こえない声で呟く。
「……せめて最後は、盤の上に立ちたかったものですね、王よ」
外では、ユピテルの足音と展覧会の支度でざわめく廊下の音が遠くに響いていた。
会議室には、誰も気づかぬ静かな哀悼だけが、そっと残されていた。