アルルカン編-2章・燻る勇者達 - 3/5

「勇者さん、勇者さん!もうすぐアルルカンだよ!」
キャラバンのおじさんが、がらんどうの馬車を振り返って笑う。
窓の外には、少しずつ色を変え始めた紫紺の空。そして。
「あぁ……マジだ、あれ」
ガイウスが思わず声を漏らす。
遠くに浮かび上がる、巨大な観覧車のシルエット。
他の街では見たこともない、きらびやかな円環が、夕闇の中でそっと光り出す。

「アレ、セレスティア・ルーレットっていうんだ」
キャラバンに同乗していた子供たちが、目を輝かせて教えてくれる。
「アルルカンの名物なんだよ!夜になると一番綺麗なんだって」
「デリンクォーラの皇族様が作らせたんだってさ。皇帝のくせにセンスいいよね」
街はすでに明かりが灯り始めている。
窓の向こう、塔や教会のシルエット、その中央で、観覧車がひときわ大きく回る。
「運がいいよ、アルルカンの夜景は大陸一って有名なんだ」
誰かがそう囁いた時、ガイウスの心にも、ほんの少しだけ期待と不安が入り混じる。

「……まぁ、とりあえず無事に着けてよかったわ」
馬車の窓から見えるアルルカンの夜景に心を奪われながら。
ガイウスはふとキャラバンのおじさんに声をかけた。

「で、あんたらってアルルカンに何しに行くの?」
おじさんは愉快そうにニヤリと笑い、馬車の荷台を親指で指した。
「決まってるだろ?あそこは金持ちが山ほどいるからな。
メキアで採れた宝石やら、香辛料やらを売りに行くのさ」
横で子供たちも、「うちの親父、金持ち見ると目が輝くんだぜ!」と茶化し合う。
「宝石に目がねぇんだわ、アルルカンの連中。メキアじゃ珍しくもねぇのにな」
砂漠の太陽で焼けた腕に、キラキラとした青い石の腕輪。
彼らの出身地――商人の国・メキア商会の空気がここにも流れていた。
キャラバンのおじさんは、ガイウスのリュック越しに、積荷の宝石箱をドンと叩いた。

「アルルカンじゃ宝石が一番売れる。だが、メキアじゃこんなの道端に転がってるようなもんだ。
珍しくもねぇ、だから大事にもしねぇさ」
子供たちも「うちの爺ちゃんなんて、昔宝石をビー玉代わりにしてたぜ!」と笑いあう。
馬車の中は、商人の笑い声、子供たちの冗談、そして遠くで鳴り始めたネオンのざわめきに満ちている。
「どれ、今夜は久しぶりに景気よく稼がせてもらうか」
おじさんは陽気に手綱をさばく。
馬車の進む先、アルルカンの観覧車が今夜もゆっくりと回り続けていた。
その眩しさと熱気に、ガイウスは知らず――ほんの少し、ワクワクした気持ちを覚えるのだった。

歓楽都市アルルカン。
その景色は、来る途中に気晴らしでめくった観光ガイドブックより遥かに活き活きとしていた。
広場前では旅芸人たちが陽気にジャグリングを披露し。
アコーディオンやバイオリンの音色が入り混じって、石畳の大通りに軽やかに響く。
屋台の間を駆ける子供たちの声と、店主たちの威勢のいい呼び込みが交差する。
地平線にはまだ僅かに橙色が残り、夜へ向かう空は美しいグラデーション。
その下で、ネオンの灯りと街路灯がポツリポツリと、命を吹き込むように光り始めていた。
「……なんだこの街……すげぇ……」
思わず、そんな言葉が漏れるほど。
アルルカンの景色は、どんな写真や言葉よりも“生きて”いた。

キャラバンの荷物を下ろし終えたおじさんが、名残惜しそうにガイウスへ手を振る。
「おう、勇者さん!ここからは一人旅だな。都会は賑やかだけど、気をつけるんだぞ」
ガイウスが「え、何を?」と首をかしげると、おじさんは陽気な顔で人差し指を立てる。
「スラムのガキには気をつけろよ~!」
「アイツらの手癖はマジで魔法だからな。
俺の知り合いなんか、100万ソル相当の宝石をスられて泣きながら帰ったって話だぞ」
キャラバンの子供たちも「スラム行くなら本気で財布隠しとけ!」と爆笑しながら叫ぶ。

「はは……わかったよ、そんな危険地帯じゃないだろうけどな」
ガイウスは気楽に笑って手を振り返す。
胸の奥にほんの少しの警戒心を残しつつも、アルルカンの大通りへと歩き出すのだった。
目の前には、煌々とネオンが輝く大通り。
石畳は雨上がりのように光り、両脇の店には豪華な看板が並ぶ。
その奥には、空に浮かぶような巨大観覧車。
セレスティア・ルーレットが、まるで夢の国の象徴みたいに回っていた。

「うおぉ……都会ヤベぇ。あれ、全部人が乗るのか!?すげぇ……!」
思わず都会なんていってしまった。
王都ラピアもまた、壮麗な時計塔や石造りの宮殿が並ぶ誇り高き都市だ。
だがアルルカンの街に一歩足を踏み入れた瞬間、その全てが「別の世界」に思えるほど。
“生きた祭り”のような熱気と、夜ごと変わる光と音の奔流。
格式ある大都会と、欲望が跳ねる歓楽都市。
どちらも偉大で、どちらも決して“田舎”じゃない。
でも、このインパクトだけは……誰も真似できない。

ネオンと屋台、劇場とカジノ、歓楽と混沌。
ここには世界中の“面白い”が全部詰まっている。
ガイウスは心の中で苦笑するしかなかった。
(ラピアだって田舎じゃないはずなんだけどな……勝てねぇわ、こりゃ)
鼻先をくすぐる甘いパンの香り。
耳をくすぐる、街頭ミュージシャンの陽気な調べ。
ガイウスは思わず子供みたいにきょろきょろしながら、大通りを歩き始める。
この瞬間だけは、何もかもが新鮮で、楽しくて、胸が高鳴る。

「よし、アルルカンって街も悪くないかもな!」
手に持ったコンパスを掲げて、未来へ向かう勇者様。
後の悲劇など、今は知る由もなかった。
この数分後。
“勇者ガイウス、財布スられて所持金ゼロ”事件が待ち受けているとも知らず。
浮かれ気分のまま、大通りを歩いていくのだった。

アルルカンの大通りは、ありとあらゆる人間が入り乱れていた。
年齢も性別も、貧富も職業も関係なく、無数の人影が雑多にぶつかり合い。
誰がどこから来て、どこへ行くのかさえわからない。
“これだけ混んでたら、勇者があと二人くらい紛れていても絶対バレないな……”
ガイウスはそんなことを思いながら、人の波に揉まれ続けていた。

「すみません、ちょっと通して……勇者を、探してるんだ……」
その声も、人々の足早なざわめきにあっさりと消される。
誰一人振り向かず、誰一人気にも留めない。
――その時だった。

向こうから、他の誰よりも小柄で、肌の浅黒いチビ。
しかもやけに堂々と、迷いなく歩いてくる影があった。
ガイウスが一歩引き、道を空けようとした、その瞬間。
何かが、ガイウスのポケットから消えた。
「……あれ?財布……ない?」
その背後には、すでに人混みに溶け込もうとする色黒の少年の姿。
伝説の“勇者スリ”事件は、こうして幕を開けたのだった。
「オイお前!? 俺の財布――!」
叫んだガイウスの前で、色黒のガキ――サタヌスは一度だけ振り返った。
真っ黒な瞳の中に、不気味なオレンジ色の同心円が回っている。
だが今はそれどころでない。財布を盗まれた事実がすべてだった。

目が合ったのはほんの一瞬。
次の瞬間、サタヌスは猫のような身のこなしで路地裏へと消えていった。
「待てやこらああああ!!!」
ガイウスの叫びに通行人たちが、足を止めてざわざわと噂し始める。

「……あれ?今日って確か、勇者様がアルキード王国から来る日じゃなかった?」
「いやいや、まさか今スラれたお兄ちゃんが勇者ってことは……」
「いやでも、あの赤毛と荷物のデカさ、勇者様っぽくなかった?」
「えー、もう財布盗られてるの?この街、洗礼早すぎ」
誰も助けない。みんな他人事みたいな顔で、むしろ面白がっている。
どこかからパン屋の少年がひとこと。

「ようこそアルルカンへ、勇者さん!」
ガイウスが路地裏へ突っ込んでいく様子を。
アルルカン大通りの人々は、どこかほほえましげに見送っていた。
通りの片隅、楽器ケース片手に旅芸人ふうの吟遊詩人が、即興のメロディで歌い出す。
「今年も勇者様がスラれて泣く季節がやってきたねぇ~♪」
その横で、買い物帰りのモブおばさんが「やれやれ」と首を振る。

「今の子、例の“土曜日のガキ”だな?昔はガリガリだったのに、まぁずいぶんデカくなったもんだよ」
「ああ、でも背は伸びなかったみたいね。ま、発育不良ってやつだわ」
もはや親戚の子の成長を噂するおばさんのノリである。
ほかにも、通行人たちが口々に会話を始める。

「今年も犠牲者が出たか……って、毎年一人は勇者が洗礼受けてるよな」
「財布だけで済めばマシさ。去年なんてズボンまでスラれた勇者いたし」
「でもこれで本物の勇者かどうか分かるって、うちのじいちゃんが言ってた」
大通りの人混みのざわめきに紛れて。
アルルカンの“洗礼”は、今年も例年通り、何食わぬ顔で繰り返されていくのだった。