追放勇者-外伝 - 2/4

霧のかかった廃遊園地。
地面には雨の跡がまだ残り、錆びたフェンスが風でギィギィ鳴っている。
電飾はチカチカと不規則に点滅し、メリーゴーランドのオルゴールは、わずかに音程を外していた。
明るいはずの旋律が、ほんの少し狂うだけで、これほど不気味になるのかとガイウスは思った。
隣にはルッツとバルトロメオ。
夢とはいえ、この二人の存在だけが心の支えだ。……今のところは。

「……ここ、なんか嫌な感じする」
ルッツが耳を澄ませる。どこからともなく、観覧車の軋む音。
「まぁまぁ、夢なら遊んどこうぜ。ジェットコースターとか」
軽口を叩くバルトロメオ。
しかし、ガイウスは顔をしかめた。
「夢だとしても嫌なんだよな、こういう場所……」
視線の先、観覧車の頂上で何かが動いた。
霧の中、ゆっくりとゴンドラが軋む。
そこに“黒い影”が二つ。
こっちを向いている。確実に。

空を切る風。
聞き覚えのある声が、頭の奥で鳴った。
「……落ちたら、どっちが先に死ぬと思う?」
サタヌスの声。
その隣で、プルトが無感情に答える。
「あなたの方が早いですよ。勇者は逃げ足だけは速いですから」
「……今、観覧車の上に人影見えたけど?」
バルトロメオが真顔になって尋ねる。

「見てない。見てない、見てないって言ってんだろ!!」
ガイウスは両耳を押さえ、必死に否定した。
「いや見てたよね!?しっかり見てたよね!?」
ルッツのツッコミが追撃。
プルトは瞳を細め、まるで実験を観察するような目つきで呟く。

「“楽しい”って感情、まだ覚えてます?」
サタヌスが笑った。
「ここのお化け屋敷、ガチの死体使ってるらしいぜ?」
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
ガイウスの叫びが夜霧を裂いた。

メリーゴーランドの音が一瞬止まり、電飾が全部消えた。
霧の中で、黒い羽が一枚だけ舞い落ちる。
その瞬間、目が覚めた。

—–

「今度は遊園地?」
朝。ルッツが寝ぼけ眼で聞く。
「……黒髪が観覧車の上から笑ってた」
ガイウスは蒼白のまま、額の汗を拭う。
「ホラーすぎる」
「お前の夢、上映したら興行収入取れそうだな」
バルトロメオの皮肉に、勇者は無言でスープを啜った。
窓の外では、風に揺れる看板の上を、
カラスが二羽、並んで飛び去っていった。

—–

夜の教会。
冷えた空気。
ステンドグラス越しの月が、淡く滲むように揺れている。
祭壇の蝋燭はすでに消え、石畳に光の欠片だけが落ちていた。
……誰もいない、はずだった。

コツ、コツ、と木靴のような足音。
廊下に反響するたび、空気がひとつ鳴る。
ガイウスは荒い息を吐きながら懺悔室へ滑り込み、ドアを閉めた。
「はぁ……はぁ……ここなら、入ってこれねぇはず……神聖な場所だし……」
外は静か。
息を潜めて、耳を澄ます。
だが、すぐに聞こえてくる。くぐもった、低い声。

「……勇者様。罪を懺悔しにきたんですか?」
「なら、俺たちが神父やってやるよ」
ギギギ……と扉が軋む。
冷たい風が隙間から吹き込む。
「やめろぉぉぉぉ!!入ってくんなぁぁぁ!!」
扉の向こうから、甘ったるい声。
まるで猫が甘えるように、粘りつく音色。
「……開けて〜♡ ねぇ、ほんのちょっとだけでいいから……♡」
「ほら、ちょっと顔見せろよ、なぁ勇者ァ〜?」
扉を叩く音が次第に速くなる。
懺悔室全体が軋み、天井の木屑が落ちた。

(もうダメだ……!)
その瞬間、背後の聖堂から、やわらかな光。
「こらこら〜。いじめちゃダメだヨー?」
一瞬、空気が凍る。
次の瞬間、教会全体が“ビリッ”と光に包まれた。
ステンドグラスの天使像が輝き、光がまるで実体を持つように広がる。
サタヌスとプルトの黒い羽が一枚ずつ、灰のように崩れ落ちていく。
「……う、うわ……目、痛っ!」
「……あの女……光を……」
二人は苦悶の声を残し、光の彼方へ消えた。
静寂と、漂う焦げた羽の匂い。
ガイウスは半泣きで、震える手を胸に当てた。

「……ハオ……マジでミカエルだったんだな……」
ハオは首を傾げ、笑顔を浮かべた。
「ミカエルって誰? お菓子の名前?」
何も知らない無垢な笑顔。
その背には、まるで後光のような光輪が滲んでいた。
プルトとサタヌスは、光に追われるように外へ逃げ出した。
外の夜風には、羽の欠片が雪のように舞っている。

月明かりの下で、ガイウスは呆然と呟いた。
「……あいつ……ほんとに黒髪か?」

翌朝。
ルッツがパンを焼きながら尋ねた。
「で、昨日の夢は?」
「……黒髪が2人、懺悔室の外で“開けて♡”って言ってた」
「うわぁ怖っ!」
「でもハオが出てきたら逃げた」
「え、神?」
「いや、狐だ」
ガイウスはスープを啜りながら天井を見上げる。
窓の外では朝日が差し込み、風に揺れる洗濯物の中で、
白い羽が一枚、ひらりと舞った。

― 娘娘飯店・奥の居住スペースにて ―

夜更け。
厨房の奥は、まだ湯気と香辛料の香りに満ちていた。
湯気の向こう、ハオはちゃぶ台で湯呑を手にしている。
対面のガイウスは、いつものように夢の話を続けていた。

プルト・スキアは半人半魔。“宗教二世”として育ち、祈りと呪いの区別が曖昧な少女。
教義に反することをすれば「罰が当たる」と本気で信じ、
戦場では自分を戒めながら敵を斬る。
――つまり、“黒髪の悪魔”という称号、まったく間違ってない。

サタヌス・ルプスは同じく半人半魔。
スラムの娼婦と魔王軍の下級軍曹の間に生まれ、
貧困、暴力、教義のない世界で育ち、正義や倫理を学ぶ前に“生きる術”を覚えた。
斧を振り回すのは趣味ではなく、生存反射。
ただそれを笑いながらやるからタチが悪い。
――つまり、“悪魔みたいな人間”と“人間みたいな悪魔”の境目に立つ存在。

夢の中で教会の扉を叩く悪魔、墓場で羽を休める影
観覧車の上から笑う二人
――全部、事実をベースにしている。
彼らが“黒髪”なのも、偶然じゃない。
黒は、彼らの生まれと罪と生存の象徴。

勇者の夢は偏見で作られたようでいて、
実は真実を過剰な演出で脳が再現してるだけという皮肉。

「夢は夢、ヨ。悪魔に追われたくらいでメシまずくならナイヨ」
ハオは笑いながら湯気越しに言う。
「……笑い事じゃねぇんだよ。昨日なんか、懺悔室のドア叩かれて……“開けて♡”だぞ?
トラウマに決まってんだろ……」
お茶をすすりながら、ハオはくすくすと笑う。
その穏やかな空気の中、奥の間からひょこっと顔を出す影。
弟子のシャオヘイだ。
腕を組んで、少し真面目な顔。

「師匠が“大天使扱い”なことにも突っ込みたいのですが……」
ちら、とハオを見る。本人はお菓子をつまみながらキョトン。
「勇者殿、俺の決めつけですが——」
言葉を区切って、シャオヘイは少し笑う。
「彼らは貴方を“嫌っている”わけではないと思うのです」
「……は?」
思わず素で返すガイウス。
「むしろ逆です。きっと彼らは、貴方を忘れられないから、夢に出てくる。
だから“黒髪の悪魔”なんて姿で現れるのかもしれません」

しばし、沈黙。
ガイウスは湯呑を置き、少しだけ息を吐いた。
ハオは横で尻尾を揺らしながら、何も言わずに聞いている。
「ゆっくり……今度は夢ではなく、本人と向き合えれば。
そのうち、自然と見なくなるはずです」
ハオが笑顔でお茶を注ぎ直した。
「でも、夢で会うよりマシヨ?」
ガイウスは苦笑いを浮かべて、茶碗を受け取る。

「……あぁ。夢より、現実の方がまだマシだな。たとえ地獄でもな」
外では夜明けの光が差し始めていた。
娘娘の屋根の上を、淡い風が撫でていく。
その風に乗って、一枚だけ黒い羽が舞い降り、
光に溶けるように、そっと消えた。