TEMPEST-1章 - 2/5

ハンターオフィスは、相変わらず騒がしかった。
銃火器の整備音、依頼書をめくる紙の音、誰かの怒鳴り声。
“まともな拠点”と呼ばれているが、比較対象が地獄だからに過ぎない。
レイスたちはカウンター前に並び。
悠馬は少し居心地悪そうに、その一歩後ろに立っていた。
「じゃあ身分確認いきますね~」
受付の女性は、慣れた手つきで端末を操作する。
疑っている様子はない。
ロストサイドでは、怪しい奴を疑っていたら仕事にならない。

「まず、ロストサイド生まれかどうか……」
端末が一度、無音で止まる。
「――あ、違いますね。この街のマナ圏で育った反応じゃないです」
レイスは、やっぱりな、という顔をした。
悠馬は少しだけ眉を下げる。
「やっぱり……」
「どこの子なんだ?」
ティアが腕を組んで聞く。

「それがですね~」
受付は画面を覗き込みながら首を傾げる。
「登録データが、妙に“空白”なんですよ。
完全な未登録者……たまにいますけど」
ロストサイドでは、身分不明=即アウト、というほど甘くない。
記録が吹き飛んだ人間も、流れ着いた存在も、いくらでもいる。
「じゃあ、マナ検査いきますね~。動かないでください」
小さな測定具が、悠馬の手首に当てられる。
淡い光が走り、数値が流れた。
一瞬、沈黙。

レイスは、ほんのわずかだけ身構えた。
――だが。
「……はい。風属性ですね」
拍子抜けするほど、あっさりした声。
「純風。混ざりも少ないし、暴発傾向もなし。
珍しくはありますけど、危険ってほどじゃないです」
レイスは、内心で舌打ちした。

(隠されてやがるな)
マナの流れが、妙に整いすぎている。
荒れも歪みもない。
“強すぎる存在”が封じられているときの、あの嫌な静けさ。
だが、数値だけ見れば確かに普通だった。

「風属性の子は、昔から気まぐれって言いますからね~」
受付は、雑談めいた調子で笑った。
「ふらっと現れて、ふらっと消える。ロストサイド向きっちゃ向きですよ」
悠馬は少しだけ安心したように息を吐く。
「……よかった。少なくとも、変なのじゃないんですね」
その言葉に、レイスは一瞬だけ視線を伏せた。
(変なのかどうか、って基準がもうズレてんだよ)
だが、それは口にしない。
マカが、小さく首を傾げる。

「数値が……妙に綺麗です。ノイズがなさすぎる」
「そういう体質の人もいますよ~」
受付は軽く流す。
「才能がない、って意味じゃないですから。むしろ制御が上手なタイプ」
才能がない。
その言葉は、悠馬にとって救いだった。
「……なら、よかった」
メーデンが、にこっと笑う。

「じゃあ一安心ですね」
ロコが尻尾を振る。
「風ならロコと相性いいニャ!」
ティアは腕を組んだまま、黙っている。
レイスも同じだった。
二人とも、同じことを考えている。
――この結果は、“本当の姿”じゃない。

だが、今はそれでいい。
受付が最後に言った。

「仮登録になりますけど、ハンターオフィスへの出入りは問題ありません。
迷子扱いでも、しばらくは保護対象ですね~」
悠馬は、少し困ったように笑った。
「……やっぱり迷子なんですね、僕」
「そうだな」
レイスは肩をすくめる。
「少なくとも、この街じゃな」
この少年は、“風”の皮を被った、もっと厄介な何かだ。
だが今は、ハンターオフィスの明かりの下。
ただの迷子として登録された。

それが、この物語の、いちばん危険な仮定だった。
レイスは受付カウンターを離れ、悠馬のほうを振り返った。
煙草に火を点けるでもなく、ただ指で弾きながら言う。

「ところでお前。いつまでロストサイドにいる気だ?」
悠馬は一拍考え、あっさり答えた。
「今夜、までかな」
その即答に、レイスの眉がわずかに動く。
“期限”を知っている言い方だ。
迷子の割に、時間感覚がはっきりしすぎている。
「よし。じゃあ今夜は“レッドデビル”から東京見物しよう」
その瞬間、メーデンがぷくーっと頬を膨らませた。

「また気に入った人にはこれだ~!
私、どうにかやっとついていけるようになったばかりなんですからね!」
一呼吸置いて、小さく付け足す。
「……ついていけるって、言いたかっただけですけど……!」
ロコが手を挙げる。
完全に遠足テンションのヤンチャ猫ムーブ。

「あそこ、エレベーター死んでるぞ?スカイツリーのほうがラクだってレイス~」
だがレイスは即答だった。
悪ガキが新しい遊び場を見つけた時の顔。
「いや、あっちがいい。悪魔好みの造形してるだろ?」
一拍、楽しそうに言葉を選ぶ。
「……あの禍々しさ、今の東京じゃ一番エモいスポットなんだよ」
マカが腕を組み、冷えた声を落とす。

「これだから半魔は……」
言い切った直後、自分も半魔であることに気づいたのか無言になる。
完全なブーメランだった。
ティアは冷ややかに視線を流す。
「お前も登るんか?次は誰の番だ……」
悠馬は一連の会話を聞き、少し遅れて反応した。

「レッドデビル……?あの赤い鉄塔……?」
ロストサイドの空に突き刺さる、血錆びた巨塔。
東京の“赤い悪魔”。
レイスはニヤリと笑う。
「そ。廃墟のてっぺん。見せてやるよ」
ロコが尻尾をぴんと立てる。
「帰りは絶対肩車な!!」
「それ前提なの!?」
メーデンは半泣きだった。

「高いところ慣れてないのに……」
こうして現場は、完全に謎の遠足ムードに突入する。
レイスだけが明らかにウキウキ。
他の全員は内心で「またかよ……」と溜息をついている。
だが、当の悠馬は――。
「行く!」
即答だった。
しかも、涼しい顔で。

「僕、高い所好きだし」
その言葉に、レイスの背中に一瞬だけ冷たいものが走る。
(……やっぱりな)
高所を恐れない。
落下を“危険”として認識していない声音。
それは勇敢さではなく、距離感の欠如に近い。
だが、誰も止めない。

こうして一行は、赤い悪魔の塔へと向かう。
夕焼けは、もう夜へ沈みかけている。
鉄骨の影が伸び、廃墟が“登られる準備”を始めていた。
誰もまだ知らない。
この遠足が、“ただの観光”で終わらないことを。
そして、レイスが決定的な違和感を見ることになるということを。

普通なら、廃墟の東京タワーなんて場所に子供が付いて来られるはずがない。
錆びた階段は途中で途切れ、外壁に露出した鉄骨は足場というより罠に近い。
一歩踏み外せば、下は夜のロストサイドだ。
高さも、風も、音も、生身の神経を試すように出来ている。
レイスは慣れた動きで、屋上へ続く鉄骨をひょい、と登った。
千年生きた半魔の身体感覚。
危険を危険として扱わない、プロの身のこなし。

「この辺り、風が気持ちいいね」
すぐ後ろから、そんな声が聞こえた。
振り返ると、悠馬がそこにいた。
息切れひとつしていない。
手を伸ばし、足を運び、“いつもの通学路”でも歩いているみたいに。
レイスは思わず、チラ見する。
「……お前。本当に人間のガキか?」
悠馬は首を傾げる。

「?」
その反応が、もうおかしい。
ロコとティアも足を止めていた。
「なんで普通に付いてきてんだアイツ……?」
「落ち着き方が常人じゃねぇ……」
恐怖を知らないわけじゃない。
ただ、恐怖が優先順位の上に来ていない。
経験者か、別の基準で世界を見ている存在の挙動だ。

屋上に出た瞬間、視界が開ける。
赤い鉄塔の最上部。
眼下には、壊れた東京が光の残骸を散らしている。
「うわぁ、高い高い!」
悠馬の声が弾む。

「僕んちより吹き抜けだ!夜景すごいなあ……」
完全にご機嫌だった。
しかも――柵の外側。
ギリギリの位置で、片足立ち。
バランスを取るというより、風と遊んでいる。
メーデンは横で「ほわぁ……」とした顔になる。
だが、その胸の奥は、ざわざわしていた。

(笑顔かわいい……鉄骨の上であんな余裕で立てるの、やばいって……)
レイスは目を細め、煙草をぷかりとふかす。
「お前な……普通の子はそんなとこ、笑いながら歩かねぇぞ」
ロコの猫耳がピクピクと動く。
完全に警戒モードだ。
「やっぱ変だニャ……その辺の悪魔でも怖がるぞ、あれは……」
ティアは苦笑いで、小さく呟く。

「カワイイ顔してるけど……何者だ、マジで……」
少し離れた場所では、女ハンターたちが遠巻きにヒソヒソしている。
「危ないって!あんな高い所で、あんな笑顔……」
「バランス感覚バケモンすぎない?」
当の本人は、まったく気にしていなかった。
鉄骨の上でくるりとターンし、無邪気に手を振る。

「みんなもこっちおいでよー!風が気持ちいいよ!」
それぞれの反応が、空気に散る。
メーデンは一歩踏み出しかけて、踏みとどまり。
ロコは尻尾を膨らませて様子見。
ティアは銃に手を掛ける意味もなく構える。
そしてレイスは、夜景の向こうではなく、悠馬だけを見ていた。

(……やっぱコイツ)
煙を吐く。
(只者じゃねぇな)
この少年は、落ちる高さを“危険”として測っていない。
それは、この世界に慣れていないからではない。
もっと根本的に――世界との距離が違う。
赤い悪魔の塔の上で、ロストサイドは確信へと近づいていった。