おじさん(邪神)とチョコ - 1/4

黙示の大聖堂は、いつもより甘い匂いがしていた。
血と鉄の香りが染みついた石床。
祈りと絶叫を吸い込み続けてきた赤黒い壁。
その上から、今日はさらにもう一層――奇妙な色の光が降り注いでいる。
赤でも紫でもない、どろりとしたチョコレート色の光。
その光が大聖堂の中央祭壇へと流れ落ち。
まるで巨大な溶けたカカオが滴るように、信徒たちの頭上を染め上げていた。
当然ながら、信徒たちは大喜びである。

テンションが高い。
普段から高いが、今日はさらに高い。
バレンタインデーだからだ。
信徒たちは胸を張り、掲げたチョコレートの箱を振りかざし、祭壇へ向かって熱狂の声をあげていた。
「我等が父よ~~~♡」
「今日はバレンタインデーにございますゆえ――世界を滅ぼす抱負をどうぞ~~♡♡」
信徒たちが一斉に拳を突き上げた。
「喝采〜〜〜〜ッ!!!」
芝居口調が、普段の一・五倍増しである。
祈祷というより、どう見ても舞台挨拶だった。

その先にいるのは黒髪、褐色の肌、金の瞳。
まるで若い企業社長のような軽い笑みを浮かべた男、アンラ・マンユ。
彼はマイクを受け取り、軽く咳払いした。
そして言った。
「よしダエーワ諸君。」
信徒たちが息を呑む。
アンラは満面の笑みで続けた。

「今年は次元溶解系バッドエンドを目指そう」
「おおおおおおお~~~~ッ!!!」
歓声が爆発する。
大聖堂の空気が揺れた。
だが、その横で鎧の男が絶叫した。
「いや待て!!??バッドエンドって目指すものか!?」
ドレッドノートである。
金髪の騎士の姿をした、無限ループの救世主AI系邪神。

「ドレ様~~~!チョコ食べて落ち着いて~~~~!!」
箱が飛んできた。
ドレッドノートはそれを受け取りながら絶望する。
「落ち着くわけがない!!!」
彼の頭上では、まだ信徒たちの歓声が続いている。

「父上に捧げるチョコです!」
アンラはそれを受け取る。
軽く振って重さを確かめ、満足そうに頷いた。
「ありがとう。」
そして、いつもの軽い声で言う。
「来月の“バッドエンド納税”に回しておくよ♡」
「ありがたき幸せ~~!!」
ちなみに“バッドエンド納税”とは、
アポカリプス信徒が毎月提出する自分の不幸エピソードの供物である。
アンラの脚本に採用されると、人生がより面白くなる。
主に本人以外が。

「ドレ様にもチョコを!」
ドレッドノートは受け取った。
包装を見て、ゆっくり青ざめた。
「嬉しいが!!」
彼は箱を掲げる。
「この“運命分岐フォーチュンクッキー”みたいな包装は何だ!?」
「開けたら確率でループ始まるやつです♡」
「絶対渡すなそんなもん!!!」
信徒たちは胸を押さえた。
「尊死……」
祭壇の階段では、さらに別の混乱が起きている。
メギドがチョコの匂いを嗅いでいた。

「チョコ!!嗅いだだけでうめぇ!!」
ゲドが横から奪う。
「父上の分もらう♡」
アルマは一粒を舌の上で転がし、うっとりした顔をした。
「この味……罪と祝福が混ざってますね……堕落的で良い」
ドレッドノートが怒鳴る。
「食うなと言ってるだろ犬ども!!!進化するぞお前らは!!!」
アンラが肩をすくめた。
「犬じゃないから大丈夫だよ?」
「そういう問題じゃねぇ!!」
メギドがアンラに抱きつく。
「パパ~~♡人理滅却してから口説かれて~~♡」
祭壇の端。
誰も触れていない椅子に――黒い男が座っている。
長い脚を組み、静かにスナック菓子を食べていた。
誰も話しかけない、だが誰も無視できない。
アンラがふと振り返る。

「ディヴァイン、話混ざる気ある?」
黒い彼は、ぱりっとスナックを割った。
そして言った。
「ないが?」
ドレッドノートが振り向く。
「なぜここに居る!!?」
ディヴァインは静かに答えた。
「ここに居るからだ」
彼は再び脚を組み直す。
そして、まるで世界の終わりを眺めるように呟いた。

「……成すがままにせよ」
誰もが思った。
絶対愉快だろ、この神。
世界が崩壊しても、たぶん同じ顔でスナックを食べているタイプだ。

アンラ・マンユは、ふと祭壇の階段に腰をかけた。
足をぶらぶらさせながら、信徒の山を眺める。
チョコレートの箱、祈りの旗、妙にテンションの高い邪教徒たち。
その光景を見て、彼は思いついたように言った。

「私もたまには施しとして下等生物(ダエーワ)にチョコでもあげようかな」
その言葉に、信徒たちは息を呑む。
アンラは適当に箱を一つ拾い上げ、手を振った。
「チョコいるかい?対価は次回の殺され役ね」
アンラ・マンユとは、集合的無意識――シャドウの王である。
あらゆる文明、あらゆる種族、あらゆる意思の裏側。
嫉妬、恐怖、欲望、後悔、悪意。
全部を内包している存在。

だから彼は人間を「ダエーワ」と呼ぶ。
蔑称ではない、愛称だ。
問題は彼の渡すチョコが、アポカリプス仕様なことだった。

「逆にそれで釣れると思う貴様の精神がどうなってるんだぁ!?なぜ殺され役を添える!?」
アンラは首を傾げた。
「じゃあそこのチョコみたいなやつあげるから」
彼が指差した先には静かに脚を組んで座っている存在。
ディヴァインだった。
ドレッドノートが即座に否定する。

「もっとダメだ!!まともなのは私だけか!?」
その瞬間、大聖堂の空気が妙に静かになった。
誰も言わないが、全員が思った。
お前もまともじゃない。
世界線を百億回リセマラしている神に、常識を語られるとは誰も思っていない。
ディヴァインは、静かにスナックを割った。

「成すがままにせよ。」
少し間を置いて、彼は言った。
「私は甘味にも苦味にも等しく無関心だ。」
悟り、完全に悟り。
この場で唯一、人間にも邪神にも興味がない神である。
アンラは立ち上がった。

「じゃあなかよしハイツ行くか……」
ドレッドノートが青ざめる。
「やめろおおおお!!!」
アンラはもう歩き出していた。
ディヴァインは動かない。
ただ静かに脚を組み、スナックを食べている。
世界が崩壊しても、多分この姿勢のままだろう。

その頃なかよしハイツ前では、人の少年がサッカーの自主練をしていた。
ボールを蹴り壁に当て、トラップ。
そこへアンラが歩いて来、少年は振り返る。
そして、最も純粋な質問をした。
「おじさん誰〜?」
それは子ども特有の質問だった。
存在の本質を問う問いに、アンラは即答した。

「おじさんだよ」
一秒も迷わなかった。
「否定しないのか!!?」
「もう少し……こう……!!神らしい威厳とかっ……!!」
アンラは首を傾げた。
「してどうする、チョコいる?」
威厳よりスイーツ。
邪神の価値観は非常に明快だった。
坊ちゃんは笑顔になる。

「わーいチョコ好き!ありがとうおじさ——」
その瞬間、ドレッドノートが地面を滑った。
全力スライディング。
「待てぇぇぇぇ!!!」
彼は少年の前に盾のように立つ。
「そのチョコは危険だ!!!」
息を切らしながら叫ぶ。

「君の“運命分岐フラグ”が100本くらい立つ!!」
「最悪“勇者化イベント”か“吸魂イベント”に飛ぶ!!」
坊ちゃんは首を傾げた。
「???」
ちなみにアンラのチョコは、アポカリプス教の内部資料によると次の効果がある。

食べるとアンラの脚本世界に召喚。
バッドエンドを書き換えてもいいよ権”発動。
未来の自分と戦うムービー再生。
完全に神の遊び道具である。
「絶対に食べるな!君の人生が二周目に入る味だ!!」
彼の声は震えていた。

「バッドエンドになってもリセマラすればいいじゃない。」
彼は優しく言う。
「ほら、君も好きだろ?リセット♡」
ドレッドノートが怒鳴る。
「私が好きなのはハッピーエンドのリセットだ!!」
「お前のは地獄の再抽選なんだよ!!!」
坊ちゃんはしばらく考え、そして言った。

「じゃあおじさんが食べてよ」
アンラは固まった。
「えっ私?」
完全に想定外、少年は真顔だった。
「だって作った人が味見しないと危ないでしょ?」
「正論……!?」
アンラは少し考え、そしてチョコを食べた。
数秒後、彼は頷いた。
「うん、美味しいよ。未来がちょっとバグる味だね」
未来がちょっとバグる味って何。

<速報>
なかよしハイツの子ども、邪神アンラを論破

なかよしハイツ前の空気は、どこか妙に平和だった。
さっきまで邪神がチョコを配ろうとしていたとは思えない。
坊ちゃんは再びボールを蹴り始めている。

その横で邪神と邪神が言い争っていた。
アンラ・マンユは腕を組み、少し考える顔をしていたが、ふとドレッドノートを見た。
「ていうかドレ。」
彼は言う。
「私にダメ出ししてるけど。」
少し首を傾げた。
「逆に君はダエーワどもに何を施すんだい?」
ちなみにアンラ様語での「ども」は。
ニュアンス的には“下等生物”というより「子猫ちゃんたち」くらいの軽さである。

「私は気が長いからね。10秒待ってあげるから答えたまえよ。」
「猶予が短いのだが!!?」
その横でアバターガイウスが、普通にチョコを食っていた。
「チョコうめぇ!!」
食うなって言われても食う。
実に勇者である。

問題はドレッドノートだった。
彼は腕を組み、真剣に考えている。
バレンタイン、つまり施し、つまり幸福。つまりプレゼント。
アンラは腕を組んだまま待ち、そして言った。
「はい。答えは?」

ドレッドノートは固まった。
「えっ……えぇ…………と……その……!」
彼は必死に言葉を探す。
そして、絞り出した。
「し、幸せ……を……渡す……!!」
アンラは満面の笑みを浮かべた。

「雑すぎて逆に好き♡」
その瞬間、勇者ズが一斉に叫んだ。
「アンラもドレもどっちも地獄だよ!!」
「やり方違うだけで同じくらいやべぇんだよ!」
メルクリウスは空を見上げた。
そして静かに言った。
「僕、この日がいちばん寿命削れる気がする。」
なかよしハイツ前は、今日も平和だった。
少なくとも邪神たちの基準では。

「一ついいかアンラ!?」
声は震えている。
「なんでチョコを!!人間に渡そうなんて思いついた!!」
アンラ・マンユは、まるで本当に思い出したような顔をした。
「ああ、それは簡単だよ。」
彼は軽く笑う。
「ウラに“社長って高いチョコみたいな色してるよね”って言われたの思い出したんだ。」
「そんな理由で!!?」
その瞬間だった。
背後から、妙に明るい音が近づいてくる。

振り向くと、そこに元凶がいた。
ローラースケートを履いている、しかも光る。
ウラヌスだった。
彼女は滑りながら大きく手を振る。
「社長ォ~~~!!!なに?邪神もディープスコいくの!?」
アンラは穏やかに答える。
「行こうと思ってたんだよ。君が私を高いチョコというから。」
ドレッドノートが頭を抱えた。

「GODIVAとか!?あるよな!!たしかに!!」
「でも邪神に言うとか!!」
「どんだけ命知らずだそいつは!!」
残念ながら、ウラヌスに“わからせ”という概念はない。
アンラは楽しそうだった。

「せっかくだから聞こうではないか。」
彼は軽く指を立てる。
「私がGODIVA擬人化なら、残り二人は何の擬人化なのだね?」
「え?ディヴァイン様はゴマ団子じゃない?」
ドレッドノートが叫んだ。

「あんな怖い団子あってたまるか!!!」
黒い球体、沈黙、深淵の闇。
見た目だけなら、確かにゴマ団子だった。
アンラは真顔でうなずきかけた。
「まぁ……確かに似てなくも……」
ドレッドノートが慌てて止める。
「納得するな!!!」
アンラは肩をすくめる。

「では次はドレ。君から見て彼は何の擬人化だい?」
ウラヌスは少し考え、指をくるくる回す。
そして言った。
「ドレ様?……高ぇバウムクーヘンみたいだよね」
ドレッドノートの時間が止まった。
そして次の瞬間。

「泣くわ!!!!!!?」
初手で精神クリティカルである。
彼は本気で傷ついていた。
「私の何が!!よりによって“層が多いお菓子”なんだ!!?」
「落ち込むことないさドレ。」
優しく言う。
「高いバウムだよ?美味しいだろ?」
ドレッドノートは怒鳴った。
「そういう言い方をするな!!食レポみたいに言うな!!私は甘味ではない!!!」
ウラヌスはさらに言う。
「バウムクーヘンって真ん中穴あいてんじゃん?」
ドレッドノートが嫌な予感をした。
そしてそれは的中した。

「ドレ様もメンタル穴あいてるし一致じゃない?」
ドレッドノートは絶叫した。
「やめろ!!!!!!!」
「私の精神構造を菓子の断面図で説明するな!!!!!!」
アンラが静かに頷く。
「わかる」
ドレッドノートは地面を叩いた。
「わかるな!!!!!!!!」